わりとよくあることだと思うんだけど、目には目を、歯には歯を、というのだけじゃやり返しきれないことがある。
これはむちゃくちゃ小さい時の思い出だが、自分が食べていたドーナツを親に突然かじられたことがある。
口に運ぶまでの間、やだ!やめて!って言ったのに食べられてしまった。
ミスドで自分が選んだドーナツだったから減ってしまってむちゃくちゃ悲しかったし、静止を聞き入れてもらえずに悔しかった。
私はその後、親のドーナツを断りをいれずに突然食べた。
やり返しのつもりだった。
この時、食べられてしまった分のドーナツの量を補填する意味と、親の(気に入っているであろう)ドーナツを食べて悲しませたいという意味でやり返した。
ただ、親は特に何も思わなかったらしく、ごめんごめん笑以外は何も言われずに終わった。
ドーナツ食べられたらドーナツを、というハンムラビ法典的な意味ではやり返せたが、悲しさと悔しさを与えることが出来ずに私は敗北したのだ。
こういうことをよく想像する。
例えば、おしゃれをして大切な用事に行く道中にコーヒーを服にぶちまけられたら?
クリーニング代や服の弁償はしてもらえても、せっかく用事のことを思って準備した気持ちが台無しになったことや、遅刻が確定して相手に迷惑をかけて申し訳ないと思う気持ち。
これらはお金には換算できないし、いい感じに計算されて支払われたところで気持ちは晴れないだろう。
かといって、相手にまったく同じ状況で同じ思いをさせることは不可能であり、結局謝罪ですまされてしまう。
具体的な損害が見えない犯罪になればなるほど、この精神的な損害に対する補償は難しい。
もちろん中には身体的な損傷を負わせる事件もあるが、被害者の多くは大きな精神的損害を受ける。
たとえ技術が発展して、加害者が同じだけの苦痛を受ける装置なんかが開発されても、それは真のやり返しにはならず、被害者の心は晴れないと思う。
心を晴らすためのやり返しは、被害者が加害者に直接手を下す必要がある上に、加害者が同じだけ苦しまないといけないので。
なんてことをよく考えている。