2022-07-10

言論人と市井の人の命の重さは違うのだ

昨日の今日でまだ何もわからない時は軽率に何かを言うよりも何も言わない方がいい。

そう思っていたのだが、自分のような人間配慮を嘲り笑うように好き勝手に言う人がたくさんいるので増田に書くことにした。

2022年7月9日の午前中の時点で「とある宗教団体」が犯行動機であるという犯人供述に基づく報道は流れていた。

それでもなお「言論暴力封殺」とか「民主主義崩壊」とか「テロには屈しない」とか言ってる人たちは何を考えているのだろう?

もちろん犯人擁護する必要理由も全くない。殺人は許されない。

しかし、この事件本質が、失うもののない人間による無差別的な殺人衝動なのだとしたら。

その可能性が今時点で明らかにあるのだとしたら。

言論」という言葉を用いてこの事件を語る人々すべてを軽蔑する。

そんな言葉を使わなくとも、やぶれかぶれの人間理不尽に命を奪われてきた人たちはこれまでもたくさんいるのだ。

そのような過去犠牲者言論人との間で、命の重さに差をつけいるようで、俺はあの事件今日以降も「言論」という言葉を用いて語る人々を軽蔑する。

  • これに怒ってる人ちょくちょく見かけるけど、怒るの当たり前って感じの書き込みが大半で自分は理解できてない感じ まあ言論の自由という主張が的はずれだなーっては思うけど、それ...

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