県を跨いだところにある鹿児島県(元)出水市民だが、水俣病の原因企業であるチッソ(いまは事業会社をJNCとして分離)のクソさを「水俣病資料館」で遠足がてらに勉強したうえで、チッソが「水俣病の原因企業」とならなかった未来に想いを馳せることがある。
小学生の頃のチッソのイメージといえば、水俣駅の前にあるチッソ工場の正門のゲートで、その先で何をつくっているのかは知らなかった。いまでも、当時は出水に NEC の液晶パネル工場があって、そこに液晶でも納品してるのだろかぐらいの認識である。... 要は、未だに何をしているのか理解していない。
チッソの工場といえば、九州なのに工場内が 50Hz の交流の電力なのは、ドイツから発電機を取り寄せて鹿児島県の伊佐市に水力発電所をつくって水俣の工場に送電しているから、と言うと都会の連中が「へえー」って言ってくれた。
まあ、なんというか、チッソのような大企業は出水も水俣も少なくて、田舎の人間としてはチッソを通して熊本市・大阪・東京・世界につながっていたような気がする。ここの製品が世界中でつかわれているのだというのは、良い刺激になったね。だから、チッソが水俣病を引き起こさなければ、世界規模のメーカーが近所にあったのだと思うのだ。
そして、創業者が野口遵で、彼は日窒コンツェルンの始祖で、同門企業に旭化成、積水化学、積水ハウス、信越化学あるからして、チッソも水俣病がなければドイツの BASF ぐらいのポジションになれたのじゃないかと想像してみるのです。ときどきね。
つけあげで島美人飲みたくなってきた。
増田の「人間性チェッカ」に躓いていた。やっと、追記が書ける。 フランス製は嘘です。本当はドイツ製のジーメンス社の発電機です。創業時に「ドイツの発電機が 50Hz だから、JNC ...