昔から賢いっぽい雰囲気の人が既存世間に対してスバッとモノを言うというコンテンツは大衆にとってガス抜きとしてだったり自己の代弁としてだったりで根強い人気があったんだよ。
ただ現代では、コメンテーターだったり、社会活動家だったり、そういう世間にモノ申す系の人達が、実際は党派性に支配され、先鋭化した思想を持ち、大衆に寄り添った存在ではないことが露呈した。
とくにリベラル系だとカズオ・イシグロやらバラモン左翼やらで話題になったように、この民衆からの解離の問題は特に顕著になってきている。
もはや大衆にとって準エスタブリッシュメント層の発言は自己の代弁者足り得なくなったんだよ。
ただ、そんな世の中でもズバッと言ってくれる人が現れてほしいという欲求は大衆の中に顕在で、そこで需要が再燃したのがひろゆきだと思う。
ひろゆきはどこか特定の党派性や思想性とベッタリという感じではないし、良い意味で俗だから大衆と目線を合わせるのが上手い。
そういう軽やかさがあるから、エスタブリッシュメント層に不信を持った大衆に受け入れられやすい。
ひろゆきを賢いと言うと異論は出るだろうが、少なくとも大衆よりは頭は切れる。そしてその"ちょっと賢そう"という雰囲気があれば本物の知的階級でなくてもコメンテーターは勤まるポジションだ。