明日食べるのに困るといったものを話したいわけではないので、そちらはいったん置いておいてほしい。
その一方で、欲しいものは既に買って持っていて、欲しいものがないという。
スマホも、ゲーム機も買っている。Apple製品を次々買っていたりする。映画も見てる。
それでも貧しいと言っている。
すぐ使うだとか、足りないとか、色々その場の意見は出るが、結局使ってない。
何にそんな貧しく感じているのか?
物の豊かさではないと言われているが、じゃあ代わりは何なのか?
モノじゃなくてコト消費だというが、何を消費したら貧しく感じないのか。
YouTubeで沢山動画を見て、Spotifyで音楽が聴ける。
それでも毎日政治のニュースに不平不満を言い合うのが、日常になり、エンタメとして強くなっている。
だからベーシックインカム導入だという意見が出てくるだろうと思われるが、生存するのを保障するだけなので違っている。
今の情報社会のありようが貧しくなったと感じられるのではないのか。
犯罪のニュースに接する機会が多ければ、統計的に犯罪率が減っていても不安に感じるのと同じ構造ではないのか。
アメリカや中国の一部の豊かなニュースを見て貧しく感じるのか、
日本だと「これは酷い」というのが広まりやすい。馬鹿にする人、怒る人、どちらにも刺さるのだ。
そして人となりが重視される。「誰々について調べてみました」というのが定番化してしまった。
最終的に人に興味が集約されていくのだが、どれだけ荒探しして馬鹿にできるか、それが競争とエンタメとなった。
どうすればいいのか。
マクロで言われる極度貧困と先進国によくある相対的貧困がごっちゃになってるだけやろな