2020-09-16

彼女ができないので母子手帳を読んだ

僕は誰にも愛されないと思った。僕は誰の特別にもなれないと思った。死にたいと思った。

ならば、僕がなぜ死なずにこの世に引き留められているのか。それは家族存在があるだろう。僕が死んだら親は悲しむだろう。子を失う親の気持ちは、想像を絶するものであろう。

友人が僕の死を乗り越えるのは想像に難くない。同窓会の会場で、自殺したアイツのことをたまに思い出すのだ。一方で、親は一生、子の死という傷を抱え続けるだろう。親から愛を受けて、親にする仕打ちがそれとは、なんと親不孝だろうか。親がどんな悪い事をしたと言うのか。そんなことを自ら引き起こしていいはずがない。

人が「誰からも愛されない」と言う時、親から愛を受けていたことを除いてしまうことがあるだろう。実感が足りないから除いてしまう。親と離れていれば、親のことを思い出さない日もあるし、遠い昔のことを毎日思い出すわけでもない。

ならば、この精神的窮地でこそ、親が僕に愛を注いできた証拠確認して思い出すべきだろう。そうして、自分が愛を受けてきた存在であることを確かめて、「自分は愛を受けていない」などと生意気な口を二度と叩けないようにしてやる必要がある。

この母子手帳は、僕が実家を離れる時に親が持たせてくれた。そこには、僕のかかった病気、初めて喋った言葉ハイハイの記録など様々な記録が母親の手で書かれてあり、家族で撮った写真が挟まっている。

かに僕は、親の愛を受けていたのだ。

僕は母子手帳を棚に戻し、ベッドに寝転がって泣いた。これほど泣いたのなど何年ぶりだろう。どれほど辛く悔しく、死を考えた時でさえ、しゃくり上げて泣くことはなかった。

母子手帳を手渡された時は、これが自分の心の支えになるとは全く思いもしなかったが、おそらく母親は、僕が愛されていた証拠を僕自身確認するために、手放したのだろう。

母子手帳は、母親母親であった証拠であり、何年にも渡って書き続けた思い出の品でもある。それを手放すのは、迷いもあったかもしれない。何年も気づかなかったが、親はそのために持たせたのだ。

僕は、この母子手帳絶対に失くさずに取っておこう。これは僕が愛を受けた証であって、自分をこの世に引き留める、何よりも大事な物だ。

もし僕が親になったら、父子手帳でも書こう。ハイハイができた記念の日には写真を撮って印刷しよう。

ああ、そうだった。僕には彼女が出来ないのだから結婚など出来るわけがないのだ。忘れていたよ。でも、忘れさせてくれてありがとう。僕は愛を受けていなかったわけじゃない。

  • 出産ってガチャだからね 変なのが出てきても育てなければならないし、そう感じるように脳ができてるだけ お前が受け取ったつもりの愛情なんてただの脳内物質からくるまやかし 彼女...

  • 愛を知って育ったなら、愛を与えることもできるだろうよ

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