ただの感想だから、ゆで先生もそれはいいと言ってるから、1ページぐらい、なんか色々加工するのダルい、(読み込んでれば引用元はページ番号すら)自明なのに引用元書く必要とかあるの、そういった感じで多くの人がキチンと引用をしない。
ゆで先生がセーフと言ってる感想の範囲も、集英社がアウトとする範囲も誰にも分からないのに、これは感想だからセーフだよの多さには目眩がする。
ゆで先生の定義は先生たちのその日の気分で変わるし、集英社は風向きに合わせてゴールポストを買えられるよう最初からキャスター付きゴールポストにしてる。
この状況で、誰にも確認もしてないのに自分の感想はセーフだと決めつけられる人たちが怖い。
━━━そういうとこだぞ(合いの手
同時に作り手側は、宣伝して頂いたいているという感覚も持つべきだ。
そして、両者に足りてないのは、曖昧な線引が衝突を生む以上は、明確な線引がいるという認識だ。
感情をぶつけあっても議論にはならない。人の感情の大きさを図ることは出来ないから。
事実をぶつけ合おう。
現状では、自制心の強い人は一切の感想を語らず、自制心の壊れた人は自分たちの感想は綺麗な感想だからゆで先生も公認していると今までどおりに振る舞うだろう。
それはみんなが不幸になる道かも知れないし、結局ネットには感想が残り、捕まるのは法を守る意識もないアウトローばかりなのだから、結果として世界は少しだけキレイになったのかも知れない。
結局ガイドライン作るしか無いんだよね。 ネットは利用者側も簡単に発信できるようになるが故に、権利者には絶大な権力が与えられてる。 それから、権利者によって自分のコンテンツ...