まさに父親だった。
ちなみに夏にはそうめんは手抜き、冬には鍋は手抜きという派生形がある。
子供が真似するからよくないとの指摘があったがその通りである。実際自分は子供の立場として父親の真似をしていた。
言い訳でしかないのだが、それが如何に用意してくれた人に対して失礼なことなのか、自分と両親だけの狭い社会の中では理解していなかった。
一人暮らしを始めて、自分で家事をするようになった。家族以外の考えに触れる機会が増えた。するとかつての自分が父親の真似だったとはいえ、とんでもないことを言っていたことに気付いた。
久しぶりに実家に戻ると、意味不明なことを喚いては母親を馬鹿にし続ける父親がいた。
というのも、父親は少しでも言い返そうものなら「誰が稼いでるかわかっているのか!出ていけ!」と逆ギレをぶちかまし、とてもじゃないが話し合いができるような人間ではないからだ。
でも母親もずっとは我慢はできない。たまに爆発することがある。幼い頃の自分は、それを突然キレ始めるなんてキチガイかよだなんて思っていた。
他にもこういったエピソードが重なり、他人と話す際に自分の価値観は汚染されていて、無意識のうちに非常識なことを言ってしまってるのではないかと常に悩みながら過ごしている。
自省的で悩めることは良い事だ