鬱がひどくて、家族とのささやかなコミュニケーションに参加できない。他人の好意をスルーしてしまう。ご飯を作ってくれてありがたいと思う一方、食事の時間がずれたら冷蔵庫に入れておいてくれた時は、「テーブルに用意されてない」から、まあ食べなくてもいいかと一食抜いてしまう。
ときどきそういうことが起こる。元気な時は意気揚々と冷蔵庫を開けるんだが、落ち込んでる時は人間の形を維持することをやめてしまう。勝手だと思う。
家族に「これこれつらいことがある」と話をしたことがある。鬱の話ではないが、「あなたが○○できないからだ」とこちらの落ち度を責められて以来、もう何も語るまいと心に決めてしまった。
日常生活のささいな事ならなるべく気をつかうようにしてはいるが、自分で抑制ができない「わがまま」がときどき家族を困らせる。イライラをぶつけられて、無言で部屋にこもる。
人に迷惑をかける厄介者だから、ここで死んでも悲しませることはないだろう、と独りでもくもくと考える。
イライラをぶつけられて、追い詰められたので、増田は死ぬことにした、などと、「人のせい」にして自分の行動を正当化しようとしている卑怯な性格を知って悲しくなった。
この選択は仕方のないことだったのだと。
被害者なら何をしてもゆるされるのか。
自殺未遂は以前にしたことがあり、だから「次はしくじらない」という強い思いが心の底に住み着いてしまった。
何年もだらだらと生き延びてしまった。おそらく「その時」は衝動で動くのだろう。人のせいもくそもない。
昔は「消えたい」と思っていた。
今は「楽になりたい」と思う。
人間関係がむずかしいな
鬱は気合でなんとかしろ