2019-11-23

ずっと籠もり続けた部屋の鍵を、やっと開けた

最近、いろんな人と会話ができるようになってきて、本当に変化が大きい。話せる。私。話せる私、と思うと自信がついてきて、もっと自然に話せる。すごい。私。

変化に耐えられなくて家で泣く。この泣くという行為、単に嬉しくて、とか、疲れるから、とか、簡単言葉にはきっとできるんだけど、もうちょっと複雑な気もして、自分でも、理由いまいちかめない状態で泣く。なんでだろう、って考えていたら、自分の中での自己評価と、まわりの環境が一致していないせいかな、と思いました。

今、話せてる人たちは、みんな普通に私のことを受け入れてくれて、普通に話す。私が馴染む。きっとこれは、普通のこと。この普通のことが、私の意識の中では全然普通ではなくて、元にあった、きっと馴染めない私、いつも浮いてるに決まってる私、といった悪い理想自分と、普通現実自分が、噛み合わなくなってしまって、混乱があって、それできっと泣くのです。

私が人と話せる、ってところから、私と誰かが同じ時間を共有するということ、同じ空気を吸うということ、なんてことまで、私が人と関われたとき、全部に違和感がある。大変にあれな感じ。価値の低い自分と、自分に対してのまわりの人の普通対応、その食い違いから出てくる、きっとそんなに価値は低くない自分。これはきっと良い自分。その自分を生み出すまでのところに、葛藤がある。

この間お医者さんにも指摘されたのだけど、私は自己評価が低い、そのあまりにも低い自己評価をなんとかする、ということが今の治療の段階では大事だということでした。

とにかく私は、人の視線を浴びる、とか、会話をする、というのがまず怖かった。私には価値がありませんから、私が人として認識されたらそれは相手には悪い感情しかまれないに決まっているじゃないか。私は空気でなきゃいけないのに、少しでも注目されたら怖いじゃないか

そういう私が世に出たら、そりゃ、混乱もあるだろ。泣いたって仕方がないだろう。慣れるしか。私はきっと、産道から出たばかりの赤子です。眩しいしいつも泣くんだよ。これからはあらゆることに慣れないといけない。

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