実名で報道することにはおおよそ批判的で、メンタリストDaigoなんかも「実名を出して報道する意味ある?まったくないじゃないか!」と言っていたけれど、京アニファンの方にとっては思い入れのある作品に関与しているスタッフさんの安否については気になることもあるだろうから実名報道によって安否を知るのはその人にとって公益性があるのでは?
もちろん一方的に実名報道に踏み切ったNHKや各種マスコミを擁護する気はないけれど、実名報道に対して「単なる金のためだ!」というのはあまりに短絡的では?
そもそも「誰も知りたがらないのだから、実名報道するな」との主張ならば「金のためにだけやってる」との指摘は矛盾するのでは?
だって、本当に誰も知りたがらないのであれば誰も見向きもせず、実名を載せた新聞や週刊誌の売り上げは伸びるわけもない。
つまりここでは「誰も知りたがらない」と言いつつ「金のため」というのであれば、誰しもが「知りたがらない」と言いつつ「本当は誰しもが知りたがってる」との意味を含有しているからであって、「金のためにだけやってる」という批判と「誰も知りたがらないから報道するな」というのは論理矛盾してる。寧ろそれは消費者側の批判だよね。
もちろん、遺族の方には最大限の配慮をするべきではあると思うけど、京アニ事件での犠牲者の方々を実名報道する理由は、やはり亡くなった京アニの方々が一般人ではなく有名人、彼らの与えてきた影響力の大きさ故のものであると思う。たとえば偉大な芸術家が亡くなった際に実名報道しても咎められることがないように、京アニの亡くなった方々もそれほどに素晴らしいクリエイターであり、彼らが与えた影響力というのが多大であったからこその実名報道だったのでは?と思う。