2019-05-17

『何か』である人は幼少期からすでに『何か』である

『何か』ではない人は大人になってあがいてもきっともう『何か』にはなれない。

そもそも『何か』にどうやってなるのすら分からない。

余計な『遠慮』や『人の目』が行動の幅を狭めるのだ。


ちょっと自分語りをしよう。

小学校のころ漫画家になりたかった。

だがバカなので何もしてない。PCもなかったし。そもそもペンタブ存在を知らなかった。まだそんな普及していない頃かもしれない。1日1枚模写はしていた。まあ上手くならない。

小学校が終わり、中学生になったら投稿するぞいという意気込みが高校生大学へと進んだ。

漫画書いてない。そもそも絵すら描いていない。ワナビだよ典型的ワナビだよ。

5年くらいちゃんと描いてまあ見れるんじゃないかなってくらいにはなったと思う。

とはいえSNSで絵を上げても評価されるでもなく。


何を思ったか今年漫画ネーム)を初めて持ち込んだが(プロとしてではなくて一応アドバイスとして。コミティアのあれですよ出張のやつ)

『いやこれ絵がないやんけ絵を描け(間接訳)』と言われた。時間なくてほぼ文字でした。てへぺろ

今、別にどうしても漫画家になりたいとかそういうんでもなく。

でもなれるならなりたいななんて四方から怒られるようなふわふわな感じ。

浅い水たまりに寝そべってさぞ浮力によって浮いてるかのように見せる甘え。


そもそも何がしたいのかすら分からなくなった←今ここ

評価が欲しいのか?

漫画見てほしいのか?

絵でお金を稼ぎたいのか?

褒められたい?

働きたくないのか?

どれも正解に見えるし、でも正解じゃないから△をもらったものの、何が違うのかわからない曖昧さがある。


あがいたところでがぼがぼ溺れてるのが現状。

とりあえずちゃんと描いて今年中にまた持ち込んでみたい。

  • 読むから、書いて。

  • 理想があるならそれを追えばいいし、いい線まで行けたらラッキー そうじゃなきゃ他にもっと向いてるのがある、 くらいの気楽さで、いろいろやってみるとか。 もうそんな一般人のレ...

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