2019-05-15

anond:20190515011824

色々考えた結果、面白ければ良いという結論が出た。俺が電車うんこを漏らせば、皆笑うだろう。それはうんこ漏らし民への差別であり、同時に笑う側からすると差別ではない。差別とは被差別者のみに定義しうるものであるしかし、お気持ちヤクザ言葉があるように、被差別者を名乗り、笑っているだけの人を差別判定する集団が少なからずいる。差別されたと思うかは個人感情であるから、俺には偽被差別者と本物の区別はつかない。アメリカLGBT団体が突如淫夢糾弾し始めたらなす術もない。傷ついている人がいる事は証明出来ても、傷ついている人不在の証明不可能からだ。淫夢文化に傷つくホモはいるか?傷つく人間が1人でも居れば差別と言えるのか?ネットのお遊びはそのたった1人の誰かにポリティカルコレクトでなくてはいけないのか?

誰に答えを出せよう?

俺には差別が何かはわからない。しかし、いつしかうんこを漏らしたとき、周りに笑われる事を甘んじて受け入れようと思う。

差別されるリスクを負いながら生きる俺たちに、この仮想空間淫夢おもちゃにすることぐらい許されるべきだ。

嫌なら見るなと言えるネットなのだから

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