2019-04-18

弱者強者になりたいわけではない

世の中に存在している弱者カテゴリーと見なされている人達女性でも障害者でもLGBTでも蝦夷琉球人でも何でもいい。

その人たちの心の中は、自分たち強者になろうと虎視眈眈と狙っている狸ではない。

弱者の中にはそのような狸はいたとしても、あくま例外だ。

弱者の心の中は、朝から晩まで常に「絶望」の感情支配されている。

その絶望感情多数派人達に知らされる機会があると、それは「ヒステリー」などと批判対象となる。

フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者強者になりたいという思想ではありません。フェミニズム弱者弱者のままで尊重されることを求める思想です」

このセリフはてな界隈でも話題になっている。

フェミニズムは男社会価値観を再強化する思想に成り下がった、弱者強者を目指さないと永遠に不幸である、とか色々批判されている。

しか弱者は一日一日を生きることで精一杯であり、強者弱者配慮せよと傲慢要求する余裕はないのだ。

弱者強者論は、まずはその点の理解から始めないと、両者は永遠に食い違うことになる。

  • まず弱者でもなんでもないフェミニストの発言をそこで取り上げるのはおかしいだろ

  • しかし弱者は一日一日を生きることで精一杯であり、強者は弱者に配慮せよと傲慢に要求する余裕はないのだ。 つまり、「真の弱者は声を上げる余力すらなく、故に声をあげてるもの...

    • それは事実だろ。真偽というより絶対的相対的という意味でだけども。 肉体性、経済性そして弱者性を装着して競う。動物的な生存本能だね。

記事への反応(ブックマークコメント)

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