誰にも見せるつもりのない日記にメッセージ性を持たせるのはいつか読む自分に宛ててるのかな。あぁ自己陶酔。酒に酔って書く文章ってすごいすらすら書けちゃうよね。
せっかくやから誰か読め!読め!
アメリカで18歳のベビーシッターが殺人罪に問われる裁判があって、
証拠は不十分なんだけど、陪審員によって殺人罪で15年の懲役って判決だった。
結局はそれも棄却されて、罪名が過失致死に取って代わって刑期もうんと短くなったんですが。
人を裁くって、業が深すぎる。
裁判の中で一体その人の何がわかるってんだ。近くにいる大切で大好きな人のことだって分かってるなんて自信はないのに。これに関しては言い切りたくなるときもあるけどさ。
裁判みたいなああいう場って少なくともどっちかはほんとうのことを言ってなくて、
でもその人にとってそれはほんとうのことかもしれなくて。
主観的事実、ってやつ。連続して漢字使うと気持ちめっちゃ中国人になれる。我、単純過何?
人間、救えねぇ。
幸せの数だけ不幸があるんだろうね。
ほとんどぼくらはそんなことは見過ごしてるけど。ふと気づいた瞬間に幸せは罪悪感に変わる。永遠の幸せなんて、多分どこにもない。
でも、それは逆のことだって言えて、自分の不幸が誰かの幸せを支えてたりもするんだ、きっと。
そしたら、なんかもう全部愛しい。
とりあえず世の中は便利なので適当に肯定してやれば生きてるのも楽しいで。
実際、そんなに悪くもない。今食ってるチョコモナカジャンボめちゃうまいし。
歯みがいて寝よ。