「実際に子宮摘出に至るような被害を受けて『子宮全摘』のみが被害の具体例になる訳がないから」
これにつきる。
確かに女児が暴漢にレイプされたり強制猥褻を受ける事件は痛ましいことだが断続的に起きているようである。過去の事件のデータベースを少し見るだけでやるせない気持ちになるほど、その詳細は酷い。
そう、実際にレイプされたらもっと酷いのだ。特に子宮を破壊されるに至るような被害の場合、『子宮全摘』がその最悪の被害ということは無いはずである。よって『子宮全摘』というのは「性被害の程度に対する知識がなく、実際のそのときの様子も知らない人間が想像した最大限の被害」と判断するしかないのだ。
ではなぜ『子宮全摘』が想像力のマックスなのか。それは「誰が見ても確実に生殖能力が喪われたことがわかる」からである。なぜ生殖能力が想像力のマックスなのか。「女としての力を奪われるから」である。単なる「生む性としての女性」という図式から一歩も外に出ていないことに、フェミニストなら気付くべきだ。
批判者達が言うように注意喚起は警察や報道のデータから行うことは全く可能である。あなたたちは伝聞情報のエビデンスではない。