この問いに、私は毎回こう答える。
こういうことを話す場面は大抵女子会と呼ばれるところであることが多く、
同席する女の子たちには「え~?」という声と不快そうな表情を浮かべられる。
でも、私にとってはそうなのだ。
特に男性はその傾向が強いと思っている(一括りにはできないけれども)し、
女性でもそういった人は多いと思う。
私自身もそうだし、性風俗のお店がこれだけ多く存在していることからも、
「気持ち」と「セックス」はある程度割り切って考えられるものだと私は考えている。
「セックス」は単なる生殖行為で、子孫繁栄のために行われるものである。
動物的に、本能にそのように植え付けられており、それゆえ我々人間は度々「性欲」に躍らされる。
それに対して男性は、精を散らばせば散らばすほど自分の遺伝子をこの世に残すことができる可能性が高まる。
なるべく多くの遺伝子を残すべく、行動に移してしまうのもある程度やむを得ない…とは思う。
なので、
肉体的・本能的に「女体」を求めることを強く批難することは私には難しい。
しかし、
「外で手を繋ぐこと」
は、実に人間的な行為であり、それはその相手、「人間性」を求める行為なのではないか?
と考えてしまう。
ただし、「外で手を繋ぐこと」が単なる「性交」に繋げるための一過程である場合がある。
この場合は、「外で手を繋ぐこと」はもはや「性交」の一部なので、私の中では浮気ではない。
「好意のある女性と、外で手を繋ぎ、食事をとったりして、プラトニックに帰る」
ことこそが私にとっての浮気なのかもしれない。
私は喉から