企業系Vtuberに対して感じる違和感は、マネタイズでもプロ意識でも自由度でもなかったんだ。
可愛い絵、不気味な絵、どっかのパクり、ペイントで書きなぐったような何か、3DCGに性癖を詰め込んだキメラ、ソレを作り上げた人間が、ソレを被って、声を当てて、何かを語る。
アバターも声もトークの内容もすべてがある1人の人間の内側から生まれてきたこと、それが生み出す一体感が良かったんだ。
たとえば、マグロナちゃんの「可愛かろ~~」は、そのマグロナちゃんを作り上げたマグロナちゃんが、マグロナちゃんの声で、マグロナちゃんとして喋っている。
そこなんだ。
Vtuberの骨子全てが1人の人間のセンスや価値観やエゴや興味に依存している所が重要だったんだ。
顔を取り込むソフトや配信用の機材やボイスチェンジャーは他の人が作ったものだけどさ、絵と声とトークの内容は全部1人の人間が作っているんだよ。
絵はこの人が作りました、声はこの人です、脚本はこの人達がやっていますでは、何かが足りないんだ。
その足りない何かがさして重要でないと思うクラスタもあれば、重要だと思うクラスタもある。
そして自分は、フルスタックである事に最大の魅力を感じていたクラスタに所属していたんだ。
多分、そういう人はそれなりにいるんだろうなと思うし、そういう人達の中でついさっきまでの自分みたいに、この概念がまだ言語化しきれてない人達にこの増田を届けたいという思いがこの増田の生みの親だ。
それだけだ。
他のクラスタが間違っているとはいわないし、自分たちが正しいとも言わないし、Vtuberかくあるべきなんて言わない、ただ、自分たちはこういう事を考えいているんだと思うってだけの話だ。