価値観のアップデートって言葉を近頃たまに目にする。おもにはてなで、もっというとはてブで。
価値観のアップデート、結構なことだと思う。自分もそうありたい。でもなんだろう、若干の違和感が拭い去れない。
数年前にはセクハラと騒がれなかった行為は今はセクハラと糾弾されるようになった。上司と部下のコミュニケーションはパワハラと紙一重になった。働き方は変わった。タバコ部屋は姿を消した。
でもそれらが問題にならなかった、正しかったとされていた価値観もあったよな。所謂古い価値観というやつ、それを実装してきた人達もいたわけだ。
勘違いしないでほしい、私はセクハラもパワハラも許されざるものだと思っているし残業もタバコも嫌いだ。自分のことはリベラルだと思っている。それなりには品行方正に社会生活をしていると思っている。今の社会には嫌な点もあるけど、概ね私の好みの世界に向かっていると思う。
でもそれって私がまだ30代で私の価値観のバージョンが新しいからじゃないのか。私だってそれなりに生きてきたから価値観のアップデートをきっとかけている、でもどうせ数回程度だし、そのアプデが正しかったかどうかなんてわからない。
なあ、各人にとって物事の価値に重い軽いあるいは好きや嫌いはあるだろう。でもそれに正しい正しくないがあるのか?
価値観のアップデートって言葉は、さもそれが絶対正しいことかのように使われる。本当だろうか?そうやってアップデートしていった価値観は、あなたたちの価値観は、どれほど立派なものなのだろう?でもまあたしかに、それは立派なものかもしれないな。あなたたちの言うようなアップデートが出来なかった人たちを見下していいと思えるくらいには。
とっちらかった文章ですね つまり最も言いたいことは何ですか?
新しい価値観が正しいとは限らない。(17字)
それな