2018-04-09

無能病人個性の差ってどこで判断してる?

ネットでは、発達障害自閉症スペクトラムのような病気のある人を差別するな、

また時には個人性格としてコミュニケーションが苦手だったり、言動キモいだけの人を差別するな、という意見は多く見られる。

一方で、何らかの事件や、ツイッター増田での与太話に対する反応では、

こいつは救いようのない無能、こいつは救いようのない悪人といったカテゴライズも見られる。

しかしどうもそれらの境界現実には非常に曖昧みえる。

個人性格問題とされるようなコミュニケーションが苦手といった話も、診断されてないだけで実は病気なのでは、という気もするし、

発達障害者の自分語りに対する、自分もまさにこれだわみたいな共感がたくさんついているのを見るにつけ、その大半は本当に病気というほどなのか?と疑問にも思う。

一方で、救いようがない=周囲が無理して受け入れてもどうしようもないと見做されるような与太話の登場人物も、実は病気であったりするのでは?とも思うし、

逆に個性とされているコミュニケーションが苦手とか、言動キモいと言ったことは、

他の人から見たらそれらの悪癖を治そうとしない救えない人とみなされている可能性もあるのでは?と思う。

そもそも病気という言葉定義すら実際は曖昧から、実は日常においてトラブルを起こしてしまう人はすべて病気としてしまってもいいのかもしれないけど。

  • 差別してはいけないと言ってない人も居ますよ もう一回原爆が落ちて廃墟に慣れば良いんです

  • 無能の方が怖くない気がする、多動とかだと怖い

記事への反応(ブックマークコメント)

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