自己実現欲求の一端としてそれは確実に存在する。社会生活を営むことから降りることを望むのでなければ。
社会で暮らす以上は、その一員としてなにがしかの形で一人分の貢献を提供しておきたいといういうものだ。
労働の対価として金銭を手に入れ、その金銭をまた対価として他者の労働によって生まれでた価値を享受するのが現代の社会構造である。
その社会構造の中で手に入れる金銭は、その社会の中で誰がしかに何らかの貢献をした結果、それも出来ることなら社会全体の最大多数の最大幸福に十二分に貢献を残すような行為の対価として得られた金銭であって欲しいと願うものだ。
さて、改めて自分の仕事がそのような他者に幸福をもたらすような仕事であるのかと考えると悩みどころである。
確かに、自分のやっている仕事が社会にとって完全に不要かと言われればそうではない。
しかし、競合他社の提供するサービスの方が質が高いのではないかという疑問は常につきない。
そもそも、自分が会社内で行っている業務ですら、顧客の満足を満たすためのものではなく、上司や株主のご機嫌取りばかりを優先した行為ばかりなのではないのだろうか。
ふとした拍子にそんな不安がよぎる。
できてるわけない 現代の労働の9割以上が資本を右から左に移動してるだけ