恐怖やムダを省くためってのはどうだろう。
例えば、
算数:たくさんあるものを数えるには、だいたい半分の側の個数を数えてから2倍すればいい
理科:原子は陽子と電子と中性子の集合で、これらには天然も合成もないから「天然○○は体にいい、合成○○は体に毒」と恐怖する必要はない
社会:個人や国家という概念は最近数百年のものだし世界共通でもない。正しい社会なんてものは今も試行錯誤中で、正解は誰にも分からない
なんかが分かっているかいないかで生きる難易度は格段に変わる。
具体的な公式や単語を暗記する意味は薄いが、「この世界には数字や式によって予測できることがたくさんある」という抽象的な理解を得るためには具体的な演習をいくつも経験して「本当にそうだな」と実感する必要がある。抽象とは具体を束ねたものなので、具体的経験がないのに抽象的理解をすることはできない。
勉強した人としなかった人の違い:
・勉強した人:「この世界には数字や式によって予測できることがたくさんある」という抽象的な理解をしている。抽象的であるので下位の具体的経験も持っているから、実際に数字や式によって確率計算をしてギャンブルや宝くじは興奮はするが儲かることはないことが分かる。
・勉強をしなかった人:「この世界には数字や式によって予測できることがたくさんある」とあいまいな理解をしている。あいまいなので下位の具体的経験を持っていないから、実際に数字や式によって確率計算ができず、ギャンブルや宝くじでいつか儲かると思っている。
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ただ、これを言ったら勉強するようになるかというと全く別の話で、要は勉強という行為に強い不快感が紐付けられていたらどうしようもない。そこの話は別なのでまた今度。
あまり勉強することができなかった人間から言わせてもらえば、勉強する事自体が習慣であり能力だから、勉強はやれるうちにやる、やる力を付けるってのは人生の選択肢を増やす意味...
服、家、飯、スマホなど 現代的生活の全ては、 誰かの「勉強の結果」として手元にあるわけだ。 それに自分も加わるわけだ。
別にしなくてよい
考えるための武器を手に入れられるのだから、やっといた方がいいわな。 問題を抱えたとき、具体的に言語化し、問題を切り分け、問題の一般化を試み、他に類似例が無いかを探し……...