「10年前の価値観で言えば評価が高かった属性A」が現在では無価値になるってのはある。人事的な評価基準での下落がこの記事の射程だけど、あえていえば不動産取得と取得した地域の人気と類似の現象だ。「購入したときは大人気の地域だったんだけどその後人気が下落した」みたいな話。元増田の文脈で言えば、取得できたのは本質的に運だ。
一方全く逆で「10年前は見向きもさなかった属性Bが高評価」になる事例もある。これまた元増田の文脈で言えば本質的に運だ。
10年前、属性Aの持ち主は我が世の春を謳歌してて、属性Bの人間を蔑視して叩いていた。いまは属性Bの人間が殴り返している。それだけのことだ。
もちろんその一方で、10年前叩かずにいたひとも、今現在殴り返していない人もいる。さらに言えばそういう運の偏りに対して何らかのケアが出来ないかと模索し行動する人もいる。
「運が良い人間が偉くてそうでない人が雑魚」という話のレベルでは、運に全てが帰着するんだけれど「運の善し悪しにかかわらず他人を蔑み叩く人と、そうでない人」という視点で評価すれば、それは運ではなく人間性の問題だとも言える(人間性を育む運とまで言えばまた別だが)。
たとえば、社会は(結果論として言い逃れようもなく)氷河期世代を蔑視して冷遇してきたわけで、因果の問題としてその結果生じる問題を甘受する責任はあるんじゃないかと思うわけだ。
それ以上でもそれ以下でもない話を長々とする奴が「自分は頭がいい」と思ってるかのような文章を書いているのを見ると吐き気がする。 運の良さが知能に関連する重要なファクターで...
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日本人の底辺でも、シリアの難民に比べればまだましだと思う。 あと、ロヒンギャの難民とかも。 日本人は全員天才になれる「チャンス」はある。 それを活かすか捨てるかは自分次...