学校と言うものに心から馴染めず、何に苦しいか、何が楽しいのかわからないまま大学生になってしまった。
他人に合わせるのがひたすら苦痛で、でもやめると寂しくて、ずっと我慢してきたが、弾けた。
結局孤独になって、弱くなっていく。
自己欺瞞に耐えきれなくなった頭は動かなくなる。
自己欺瞞から抜け出そうとするには、20歳という年齢はどうなんだろう。
反省というか、頭を冷やすため、いろんな本を読むようになった。
つまるところ、誰かに本当の自分を見てもらいたかった。自分について真面目に考えてくれる他人が欲しかった。この年齢までくると、すっからかんの自分を見てくれる人はなかなか見つからなかった。見つかったのは僥倖である。
自分の順応できる世界、自分の望んでいる世界は自分の中にあって、どう満足して生きていくかは自分の評価関数次第で、評価関数はいろんな要因によりアップデートされる。
今まで自分に対する思索が足りなかったことをひしひしと感じる。
若いときの自分に対する思索というのは根無し草にならないための重大な要因である。
夢中になれること、自分を表現できるもの。これはめんどくさいことを考える人間が生きる意味を考える上で、最終的に必要になることだと思う。
ここまでわかったら行動あるのみ。動こう。