昔から宿題や課題、ゼミの準備といった締め切りのある物がつらくて嫌だった。
課題が出されているという事実が何をしていても常に頭の片隅にあり、その事実に押しつぶされそうになる。
何をしていても課題のことで頭がいっぱいになり他のことに何一つ集中できなくなる。楽しいはずのことをしていても心から楽しめなくなる。
中でもゼミの発表の準備は一番嫌であった。他の課題は何かしら形のある物を完成形に持っていけば終了であるが、発表の準備はこれといった完成形がないからだ。
そうしてつらい締め切りを乗り切ったとしても、それは新しい締め切りの始まりに過ぎない。
終わりは始まりなんてことをポジティブなことのように抜かしてる輩が居るが、そいつらはこう言うつらい締め切りをどう思っているんだろう?
しかし、人生に毎日毎日くる課題・問題から逃れられる特異なことがいくつかある。これまでの人生に置いては進学であった。
中学校のころ締め切りが嫌であったのと同様に部活動も嫌であった。半強制的に入らされた部活動、一日の部活動が終わってもまた来る部活動。地獄のような日々であった。
高校時代は来る日も来る日も大学受験の課題が出る生活を送っていた。
今、私は大学の4年である。来る日も来る日もゼミの準備に襲われている日々を過ごしている。
つらさを感じているのは将来のことである。労働に置いて締め切りが重要なものであることは理解している。
しかも社会人になって以降は先に述べた特異点のような物は存在しない。つまりこれからは永遠にやらなければならない物に頭の中を支配される生活が続くことになる。
その論理で行けば、転職、定年退職するという特異点はある。 あとは、明示的な締め切りがない仕事に就くというのもあるかもしれない。 自分のできる限りを毎日やり続け、その中間...