俺は学生時代、ボランティアの美名を借りた「やりがい搾取」を経験した。
色々やった。寄付を募って営業もかけた。ビラまきもした。支援先の国にも赴いた。
その結果、就職の機会を逸した。
周りの大人は俺を持ち上げる。「就活なんて余裕だよ」「君なら絶対平気」などなど。俺は大人に認められてたいそういい気になっていた。その言葉が現行の就活システムなんて全く知らないような人間からかけられた言葉だということも大して気にならなかった。
就職はなんとかなるだろうと思っていた自分が甘いということももちろんわかっている。わかってはいるが、それ以上に、ろくな対価もなく、仕事の割り振りすらまともにできないようないわゆる理念先行型の組織で、俺は使い潰された。その事実は揺るがない。ろくに俺を手伝ってくれず、お遊び感覚でへらへらしていたほかの学生らにもめちゃくちゃ腹が立った。まあ、そういう小狡い関わり方が一番得するというのは後でようやくわかったことだけれど。
就活のシーズンが終わったころ、俺は俺をおだてた大人たちと飲んだ。就活がうまくいかなかった旨を伝えると、「大学院に行けばいいじゃない」
誰の仕事を手伝ってこうなったと思ってるんだ?
誰が学費を出すんだ?
使えるから、大学院に行かせて、そこでまた使ってやろうと思ったんだろ。
俺はこの言葉を一生忘れない。
当時の自分は正しいことだと思ってボランティアに取り組んでいたと考えてみても、どれだけ当時の自分が自己責任の下で行動していたと正当化しようとしても、あれは見本みたいなやりがい搾取だった。そうだ。俺はやりがい搾取されてたんだ。そうだ…。俺はやりがい搾取されてたんだ。ああ、そうだ。俺は…。俺は…。部活のときの体罰と一緒だ。俺が「体罰が教訓になった」と言っても、理不尽な暴力を振るわれていたことに変わりない。同様に、いくら「ボランティアは良い経験になった」と言っても、搾取されていたことに変わりはない。正当な対価なんてなかった。「貧しい人を助ける」という言葉に粉飾された搾取の構造。なんだろう。虚しい。屁理屈こねても当時の自分が色々な意味で馬鹿だったんだとしか言いようがない。俺の使命感とか、人を助けたいとか、そういう気持ちは全部ボランティアの錦の御旗にしゃぶりつくされた…。
その「やりがい」ってボランティアやったら就職が有利になるって意味のやりがいか? 増田のやったことで途上国の人が笑顔になったのならばちゃんと還元されてることになるはずだが...