「没入すること」は「感情移入」だが「「劇中で一貫性だったり背景を上手く描写させていて、見ている側に「このキャラクターはどうなるのだろう」と興味を持たせる」」はやはり別の概念なのでは。
興味を持たせるようなキャラ作りができたとしても、すべての人にフックをかけられるわけじゃないでしょ。
感情移入という結果に至る原因のひとつにすぎないのでは、という。
共感という言葉に対してはhttps://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%84%9F-477908#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29
共感はまず他人の感情体験が前提であるのに対して、感情移入はまず自分の現在における感情体験が前提になっているなど、両者を区別して定義づけようとしているものの、実際には混同して用いられることも多い。
という点では正しいけど
ある人とともに悲しむためには、自分もその人と同じような悲しい体験をしていることが必要ともいえる。親を失った人の悲しみは、自分も親を失って悲しい体験をしたという人によって初めて共感できるというように、ある感情への共感は、その感情についての先行体験が必要条件ということができる。
という点で間違ってるよね。
混同して使われる可能性が高いのであれば、やはり「キャラに読者が引っ張られる」的な概念が必要だろうね。
この表現も引っ張られるについての知識がないと誤解を招きそうなので。
例として挙げられてるキャラでも感情移入しにくいだけであって、感情移入する人はいるんじゃないの。
「人物描写がめちゃくちゃでキャラもブレブレで行動原理が理解できないし矛盾があるみたいなキャラクター」
だけど人間としてはまぁいるよね、という形で理解・没入できる可能性は十分にある。
むしろこういうキャラクターの存在に否定的ということが元増田の主張なのだとしたら、
なるほど。感情移入という言葉はあまり正しくないというのは確かにという感じかなぁ。 まさに「「キャラに読者が引っ張られる」的な概念」も必要なのだが、なんというか、国語の問...