無茶苦茶でしょ。
自分には必要ないからというのを排斥の論拠として使いたがるやつ。
例えばバス路線で例えると、
自分が乗らないバス路線が現便されても知らないとかは正しい態度だろうが、特に経営上の存廃問題が起こってない段階で
自分は乗らないから廃止にせよ、それで少しでも自分の走る道路の車を少なくするべきだとかいい出す人はいくらなんでも行きすぎだろ。
自分以外の人は必要としているからそのバス路線は存在するのであり、それを自分が使わないからってなくせと要求するのはおかしい話なのである。
そしてバス路線がなくなったことによる、渋滞の発生で結局自分が迷惑被ることを考えられてない。
結果自分も被害を被るの下りは、ものによってちがうから一概には言えないが
自分が使わないものの存在で迷惑を被ってると考えられたとしても、公共性を考えればそれをなくせと要求できない場合もあるということをわかってほしい。
たしかにまあ、世の中には必要ない人にとっては存在している必要性が理解できないというものもたくさんあるということは認める。
しかし、それが少なくとも経済上存在できるぐらいに事実として存在するのなら、それを必要としている人がいるということでも有り、
それを「なんか自分が気に食わないから」でなくせというのが当然の正義だとかいう態度は、良くないと思う。
まあ、こんなことを語っても、どうせ頭のいいエリート様からすれば
「完璧な自分たちにとって不必要なものは不必要。底辺がホントはいらないのに依存しているものの存在を残すなんて不快」
とか言われるのかもしれないが、
エリートには不必要でも、弱者には必要というものが世の中にはあるのである。