2017-03-05

自分にとって必要いから世の中から消せ」論

無茶苦茶でしょ。

自分には必要いからというのを排斥の論拠として使いたがるやつ。

例えばバス路線で例えると、

自分が乗らないバス路線が現便されても知らないとかは正しい態度だろうが、特に経営上の存廃問題が起こってない段階で

自分は乗らないか廃止にせよ、それで少しでも自分の走る道路の車を少なくするべきだとかいい出す人はいくらなんでも行きすぎだろ。

自分以外の人は必要としているからそのバス路線存在するのであり、それを自分が使わないからってなくせと要求するのはおかしい話なのである

そしてバス路線がなくなったことによる、渋滞の発生で結局自分迷惑被ることを考えられてない。

結果自分被害を被るの下りは、ものによってちがうから一概には言えないが

自分が使わないもの存在迷惑を被ってると考えられたとしても、公共性を考えればそれをなくせと要求できない場合もあるということをわかってほしい。

しかにまあ、世の中には必要ない人にとっては存在している必要性理解できないというものもたくさんあるということは認める。

しかし、それが少なくとも経済上存在できるぐらいに事実として存在するのなら、それを必要としている人がいるということでも有り、

それを「なんか自分が気に食わないから」でなくせというのが当然の正義だとかいう態度は、良くないと思う。

まあ、こんなことを語っても、どうせ頭のいいエリートからすれば

完璧自分たちにとって不必要ものは不必要底辺ホントはいらないのに依存しているもの存在を残すなんて不快

とか言われるのかもしれないが、

エリートには不必要でも、弱者には必要というものが世の中にはあるのである

税金と同じように、弱者のために存在するものが「存在する」ということを受け入れるということが、

弱者でない人間には社会的責任として求められるのではないだろうか。

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