周りのデカさが気になる思春期の人も、男としての自身を失ってしまった人も、その気持は痛いほどわかる。
比べる必要なんてないのに、本能で比べて落ち込んでしまうなんてことは人生には多々ある。人間にかぎらず、動物全般、大小や優劣を比べたがる。
比べることが求愛行動だったりするし、種の保存という壮大なテーマが背景にあったりする。脳が比べたがる仕組だと言われても疑う余地はない。そこは否定しない。むしろ比べていこうどんどん。
オスとして優れた者が種を残す、この大原則にも異論はない。異論がないからこそ、周りがデカいと自信を失うし、不安にもなる。
でも、ちょっとまって欲しい。デカい方がオスとして優れていると、本当にそう言えるんだろうか?
人間にしっぽの名残があるように、水かきの名残があるように、不要なものはどんどん小さくなってきた。動物だって同じ。
今の地球上に生きるのは、恐竜よりもずっとコンパクトな生き物ばかり。大きいと外敵に狙われるため、時には小さくなって身を守ることを選ぶ種もいたはずだ。
そうやって脈々と続いてきた生命というものは、無駄に大きいものというのはあまり存在しない。そして、その無駄のなさに、神秘的な美しさを感じられる。それが機能美というものだ。
必要十分な機能を兼ね備えた、より小さいものこそ美しいと感じてしまう。これもまた人間に備わった本能だ。
つまり、どんなに短小であっても種を残すことができるのであれば、それは優れた進化だ。
だからもし、自信を失っているのであれば、自分こそが新人類なんだと自信を持って欲しい。自分こそが、種の最先端にいるんだと。