2016-08-14

便利さの袋小路

僕は今、海外に赴任していて、もうすぐ日本帰国予定。

日本は、ちゃんと指定した日に小包が届くし、コンビニスーパー24時間やってて、細々とした雑貨も快適に設計されている。海外から離れて見ても、これほど便利な国はないと思うのだけれど、僕はどうして、日本に帰ることに、日本生活に今から少しだけうんざりしてしまうのだろう。

蓋し、便利さと生活の質というのは、通じているところはあるけれど、同一ではない。便利な生活はある程度の生活の質を保証してくれるけど、便利さを突き詰めていったところに最高のクオリティ生活保証されているのかというと、どうもそういうことではないようだ。

そしてその便利さを突き詰めていった袋小路に、今の日本に生きる僕たちの生きづらさがあるように思うのです。

あるいは、便利さと言うのは「生活短期的な幸福効果」と言い直すことができるかもしれない。僕たちは時に近視眼的にその手近な効果を追求しがちなのだけれど、長期的な幸福効果というのにはてんで無頓着で。

ネットで注文した商品が即日に届いたり、深夜にお酒が買いにいけたりする便利さは、確かに有り難いものではあるけれど、そのために誰かの生活犠牲にしているのであれば、僕はそれを求めない

ドイツでは未だに日曜日になるとレストラン以外のお店は法律しまってしまって、うんざりしたものだけれど、日曜日ショッピングができなければ、家族散歩をして過ごすようになるものだ。不便さを楽しむことが、長期的な幸福効果の最大化の近道である、と最近は思うのです。

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