真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ルールやマナーの本質的な価値は、合理性の皆無とは直接関係がないことは過去に回答したよな。
だが、皆がそれを理解しているわけではない。
まあ、ルールやマナーとして運用するということはそういう側面も出てくるわけで、それ自体は問題ではない。
けれど、“特定の人たち”にとって合理性の皆無は、是非を判断する上でありがたい存在なのさ。
交通機関は移動が目的なわけで、利用者にとってヘッドホンの音漏れがダメなことに合理的な理由はないといえる。
では、タバコはどうだろうか。
ただ、過去にも回答したようにルールやマナーというものは、合理的な理由とは必ずしも因果関係がないし、必須要素でもない。
最近だとiQOSなどもあるが、あれはルールやマナーとして運用されている本質的な価値を何ら脅かさない。
なので、タバコを嫌う人や喫煙についてのルールやマナーはなくならないと断言できる。