これまでのフィクションと言えば、少なからず自分を投影できる作品がウケていたように思う。
スポーツモノなら「主人公みたいに努力してみんなとスゴイこと成し遂げたい!」、恋愛モノなら「主人公みたいに素敵な恋がしたい!」、仕事モノなら「主人公みたいにバリバリ結果を出して出世したい!」、日常モノなら「主人公みたいに友達とのほほんと過ごしていたい」など。
でも今の時代、そんな夢にリアリティを感じることはできなくなった。
そういう夢を実現できる見込みがない分、「自分」のような人が夢を実現している世界を見るのは、なんだか自分がダメに思えて、否定されてるように感じてツラい…
そこで登場したのが、おそ松さんみたいな「男子だけの日常」を見る女性消費者と、例は浮かばないけど「女子だけの日常」を見る男性消費者という構造だ。
こういう作品に共通するのは、「自分を投影できる存在」がいないことで(一度も作品を見たことのない自分が断言するのもどうかと思うけど)、これなら自分の今と比べることなく、ただのほほんと傍観者的に眺めることができる。
これって、結構気が楽だと思う。
ミュージカル「大体、そんなもんだろ」
ごちうさ、ゆゆ式、ゆるゆり、桜トリックみたいなアニメを見ている萌え豚にとって、 女子を眺めるというよりも、そんな女子になりたくて見ている気がする…
× これまでのフィクションと言えば、少なからず自分を投影できる作品がウケていたように思う。 ○ 何でもかんでも「主人公に自己投影している」と言われてきたように思う。