Twitterでフォローしている中に、優しい心持ちや柔らかな眼差しで日常を綴るタイプの人たちがいる。
その人たちと実際会ったこともないしそれこそ見かけたこともないし、
でももしかしたら会っていたり見かけていたりするのかもしれないけれどそういうことすらわからないぐらいに、
本当に彼らの実際を知らない。
なのでツイート上であらわされる日々の悲しみを完全に信じているのでこう言いたいんだけれど、
失礼なことを言われたら、その場で怒れ。キレろ。ぶちかませ。
でも、あまりの失礼さで衝撃を受けたり、頭の中が真っ白になったりして、
その場で言い返せないことだってあるだろう。
直接会ってる時なら、その場を離れろ。可能なら帰れ。
そしてその混乱から抜け出した時に、どれだけあなたが相手に怒っていたかがわかるはずだ。
何を言っても怒らないと。たとえ内心怒っていたとしても、言った自分には絶対に被害はないと。
そして実際怒ってきても、軽い冗談だと茶化したり、そんなに怒るような事ではないだろうと嗜めたり、
こともあろうに「怒るなんて人間性がおかしい」と否定したりしてくるのだ。
怒っていいんだ。
あなたは怒っていいんだよ。
優しいあなたがどうしても怒れないっていうなら、それは仕方ない。
それでも、その怒りの正体は、傷つけられたあなたの悲しみだ。
「傷つくなんておかしい」「悲しむなんて人間性がおかしい」なんて言われて、
そんなことを聞いたこっちが黙っていられない、なのでここでそいつらに怒ることにする。
見下す相手を失いたくないそいつらは、適当な謝罪めいた、けど絶対に謝罪ではないことを言ってくる。
「悪気はなかった」
本当に悪気ない人間なら、そんな時になんて言う?それは絶対にあの言葉じゃないだろう。
「そんなつもりじゃなかった」
そんなつもり無しに出てくる言葉か?あれが?本当に?
それを信じる奴がいると本当に思ってでもいるのか?
「誤解させたのなら謝る」
誤解が発生するような状況だったか?じゃあ百歩譲って誤解だとして、本当は何て言いたかったか言ってみろ。
本意なんかないだろう?
もし本意としてもっともらしいことを言うなら、元発言と比較させてもらおうか。
あれらの言葉を使って表す必要なんて全くないような「本意」を捏造した理由は何だ?
「もし気分を悪くしたならごめん」
なんで疑問詞ついてんだよ。あの発言で傷つかない人間がいるとでも思ってるのかよ。
世の中が広いのは素晴らしいことだし色んな考え方をする人がいることは興味深いことだ。
しかしそこに「自分が見下しても傷つけてもいい相手」がいると信じて疑わないお前へ。
相手が優しさを、人間性を犠牲にして耐えているのをいいことに、何度も同じことを繰り返すお前へ。
調子に乗ったお前は久しく会っていなかった相手やこの先新しく出会う他の誰かにも、同じことをするだろう。
そんなことはない自分はそんなことを誰にでもするわけじゃないってそう言いたいんだろう?
その通りだよ、お前は相手を選んでる。選び抜いたその上で、そういう態度を取っている。
心優しい相手が罪を被ることではなく、間違った相手を選ぶことを。
耐えてきた、そして今も耐えているあなたへ。
でも、怒れなくても、怒りを相手に伝えることができなくても、それでもいい。