2015-06-10

真理が倫理的であるとは限らない

http://realtor-readyabooks.hatenablog.com/entry/2015/06/09/190209

これを読んで思ったこと

この世界が仮に「男女は能力に差があるからこそ素晴らしい」という道徳規範が優勢な世界だったとしても

この記事の筆者は同じ結論を出しただろうか?


そうは思えない。

この記事は一つの別の可能性を提示しただけで、女性棋士の弱さを器質的な差に見いだす議論を反駁しているわけではない。

にもかかわらず記事の筆者が、女性棋士が弱い理由を器質的な差に見いだす議論を「妄想偏見の類」と断ずることができたのはなぜだろう?

それは道徳に後押しされたからではないのか?

男女は平等であるべきだからーー男女の知的能力に差があるべきではないから

その差を肯定する議論妄想でなければならないと考えたのではあるまいか?


この記事だけを特別に叩くつもりはない。

この記事は一例として挙げたにすぎない。

道徳的に間違っていることが真実であってはならないーー

この種の信念はほとんど日常的に観察される。

たとえば我々が障害者いじめ被害者について述べるとき、この種の信念から自由であるだろうか?

事実丸いものを平らでなければならないと言いくるめてはいまいか?

私は科学を葬った中世の愚かな宗教家たちを、とても笑う気になれないのだ。

  • 女性棋士の弱さを器質的な差に見出す根拠がないからなあ。 例えば女性の肉体的な力の弱さについてであれば、男性ホルモンが筋力を増大させるのでうんたらみたいな根拠があるわけじ...

    • 子供が将棋を知り棋士を目指すにいたるまでの膨大な環境要因の男女差を無視して 既に棋士になった人の環境だけをみて男女に差はない!純粋に能力の差!とか言ってるはてブのおじち...

    • 発端となったTogetterまとめでも短絡的に器質的な差と結びつけているわけではないだろ。

    • 元増田だが かといって、元記事はジェンダーバイアスが棋士の世界に当てはまることを示したわけでもない。 である以上、「器質的な差」も「ジェンダーバイアス」もそれぞれ一つの...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん