元増田だが
かといって、元記事はジェンダーバイアスが棋士の世界に当てはまることを示したわけでもない。
である以上、「器質的な差」も「ジェンダーバイアス」もそれぞれ一つの可能性を仄めかしたにとどまる。
俺は別に器質的な性差があるともないとも主張したいわけじゃない
結論には関心がない。どっちでもいい。
俺の興味は、どちらも可能性に過ぎないにもかかわらず、
元記事の筆者に前者を妄想と断じさせたものは何か、ということだ。
さらに元のtogetterの議論も見ると、俺は俺の疑念を一層深めざるを得ない。
我々の目は道徳によって曇らされているのではないか?
http://realtor-readyabooks.hatenablog.com/entry/2015/06/09/190209 これを読んで思ったこと この世界が仮に「男女は能力に差があるからこそ素晴らしい」という道徳規範が優勢な世界だったとしても この...
女性棋士の弱さを器質的な差に見出す根拠がないからなあ。 例えば女性の肉体的な力の弱さについてであれば、男性ホルモンが筋力を増大させるのでうんたらみたいな根拠があるわけじ...
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子供が将棋を知り棋士を目指すにいたるまでの膨大な環境要因の男女差を無視して 既に棋士になった人の環境だけをみて男女に差はない!純粋に能力の差!とか言ってるはてブのおじち...
発端となったTogetterまとめでも短絡的に器質的な差と結びつけているわけではないだろ。