2015-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20150607042

前提として、衆生馬鹿なんです。なので、深い教義レベルでその時点での一般常識からエキセントリック思考の転換を論理として理解はできない。だからね、布教するときに、布教師は考えるわけです。あ、布教師っていうのは造語ですけど、要するに信者数を極大化することをミッションとしてしまった人です。で、布教師は考えるわけです。馬鹿には理屈は通らない。馬鹿にもわかる教えの偉大さってなんだ?と。そうすると、開祖教義によってもたらされる利益を説こうということになるわけです。要するに、ユーザーメリットの訴求です。あるいはインサイトへの訴求。ですが、考え方を変えることで毎日暮らしの中でやんわり心が軽くなる、程度では、競合の神様と大差ないわけですよ。従来通り古式ゆかしい神殿で古来信仰を集める神様にかしづいておけば、似たような体験はできるわけですから。そこで必要なのがインパクトです。マジそんなことありえんの?!みたいな逸話です。そやったら今年からうちの麦はそっちの神殿に納めますわと言わしめるようなのです。つまり奇跡です。そこで、今やこの世にいない教祖ですよ。なにせ布教師自身奇跡を起こせないわけですからだって人間なんだもの。そういうわけで開祖神格化が始まります。そもそもの開祖の行いに尾ひれが付き、付きまくり、えらいことになって、なり続けて、そのあげくにまとめられたら、教祖が触れたおかげで歩けなかったおっさんが歩けるようになったとか、教祖自身が死んだはずなのに数日後に生き返ってたとか、いやもうそれ神だろみたいなことになっていくわけです。そんで、衆生馬鹿から、マジかよすげーな!と、その年以降の麦をその教団に納めるようになるわけです。


要約…色々苦しんでる馬鹿衆生が、「苦しくなくなるよ、だって奇跡が起こるんだもの」と口八丁で訴求されて、それに乗っかったから。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん