1、ベビーカー 2、休みの取り方 3、表情 4、人への注意 5、申告できない 6、謝るときは仕方がない時
7、見返りを無くす 8、いつ気づくのか 9なぜ書いたのか 10、望むものは本当に良い事か
親切は黒子のようにするのが理想であり、わたしは少しずつ目指している。
ネットでベビーカーの議論をちょいちょい見かける。混む電車にベビーカーの方が乗り込む是非みたいな感じだったと思う。ベビーカーの人にできる親切はなんだろうか。優先座席に座ってもらうのがちょうどいい親切だろうか。わたしは譲る事はしたくない。譲れないのほうが正しい。わたしは滅多に座らないから。電車に乗り込んだらまず、ベビーカーの方を確認する。どこに座ろうとしているか確認する。アタリの検討がついたらベビーカーの方の進路のみ開け、他の乗客にさりげない、邪魔とも取れない邪魔をする。安全に席まで行き座ってくれたら成功。誰にも気づかれなかったら大成功。
仕事の休みは申告しない。仕事にあわせて遊ぶ時間を考える。仕事が終わるのを待ってもらう。大体のことは調節できる。仕方ないときもあるが基本は言わない。シフト調整の手間をわたしで減らす。
嫌々した仕事が誰かの役に立つだろうか。自分の頑張りを主張しても評価するために頑張るのは別の人だ。暗い表情では誰も動かない。人に悟られないのが親切では。
注意され、考えて、出した結論が結果に対して何の影響もないことだったばかりか、注意した人とつるんでいる人たちに利益がいくだけだったと気がついた時は悲しい。注意のほとんどは無駄だ。自分で気づいてもらったら永遠に刻まれる。
わたし親切です。というひとを聞いた事がない。親切かどうかは人からの評価だ。しかしバレたくない、親切していることを。
ごめんなさい。すいませんでした。誤りありきの行動は慎みたい。どーしても仕方なく、、、ごめんなさい、だ。あってはならないんだ本当は。謝る場面にならないためにどうすればいいか考える。
親切されたら、当然返そうと考えることは不思議じゃない。返さなければならない、までくると面倒でしかない。そこらへんに厳しいひとにひっかかったときはとてつもなく面倒だ。親切は気づかれたら負けだ。
たまにつながりを見つけられて、親切がバレる時がある。しらばっくれるのみ。
この文章は匿名に近いから書いている。知り合いが見ていないから書ける。裏でこんな事しているわたしは偉いでしょと思われたくない。みんなはどうしているんだ。
親切は人を思いながらする。相手の意図を汲み取り、自然な流れに私の手を添えたい。その先に求めるものは本当に良い事なのだろうか。「本当」はいつまでも変わらないのだろうか。分からない。気づかれないのだから、わたし自身で修正しながら親切をしていくしかないよな。