成功者しか生き残れない世の中の話ではないですよ(書いているうちに似ているのかも知れないと思ったけど)。
部屋を整理していたら、誰だかわからない人の写ったポラロイド写真が出てきた。僕はこれをだれであるのか知らないけど、たぶん前にこの部屋を使っていた父なら分かるんだろう。というか、この写真は父の持ち物だ。
正直に言って、あまり綺麗な写りではない写真なのだけど、これがもともとそういう写真なのか、経年劣化でそうなってしまったのかは定かではない。
ふと思ったのは、これがもともと写りが悪い写真だった場合と仮定して、(写真の感じから当時存在していたとは思えないけど)デジカメで撮っていたら今まで残っただろうか、ということ。
デジカメの場合、その場で確認して写りが悪かったらそのまま削除してしまう人もいるんじゃないかと思う。フィルムの写真だと一度現像しなきゃならない分コスト大きいからその場で捨てるって言うのは難しい。ポラロイドの場合はすぐに現像されるからフィルムに比べれば確認しやすいけれど、デジタルデータを削除するようにさくっと捨てられるわけじゃなくて、ゴミ箱にもっていくまでのコストはある。それで、時々捨て忘れたりすることがある。
写真に限らず、デジタルデータというのは、「残そう」という意思が一度でも働いたものに関しては、基本的にはデータとしては劣化しにくいし後々まで残しやすいのだろうけど、要らないデータを捨てるのも簡単すぎて、ネガにあたるものとか、一切残骸すら残らないわけですよ(ファイルシステムを直接覗いてサルベージ擦るって言うのはちょっと現実的じゃないかと思って考慮してない)。
今まで、失敗しちゃった写真とかでもたまたま残ってて、後々そのおかげで「あのときああいうことがあったねぇ」「お父さん若いねぇ、懐かしいねぇ」というような思い出話が出来たりしたのが、今の世の中だと起こりにくいのかな、と考えるとちょっと寂しい気持ちになった。デジタルデータを一切消さずにAmazon S3あたりに無限にためていくのも一つの方法かもしれないけど、それはそれで膨大すぎて見返すのはつらかったりするし、思い出を振り返るようなことには使えないんだろうなって。
そういえば、紙の写真のアルバムをみんなでみることも無くなったなぁ。やっぱり今時は、居間のテレビとかに映してみんなで見るのかねぇ。
最終的になにが言いたいのか自分でもわからなくなってきたけど、ふとした瞬間の家族の思い出みたいなものって、なんとなく大切にしたいものだな、そう思ったんですよ。