唯一、俺のことを心配してくれたおかあさんが死んだ。
危篤の電話があってから2時間くらいで、死亡の電話を受けた。なすすべもなかった。
おかあさんの死に目には、会えなかった。最後に、俺に言いたいことも聞けなかった。
おかあさんは、つねに裏方で尽くしてくれて、俺を叱るとか、諭すことはなかった。
自分の欲求を一切口にせず、常に家族へ黙々と尽くしてくれたおかあさん。
ごめんね、俺が手術をする判断をしなければ、今もお父さんといつも通りの生活を送っていたんだよな。
おかあさんは、俺の判断にも文句ひとつ言わず、病室で朝ドラをいつものように見て、手術室に運ばれたよね。
あの朝ドラが、おかあさんにとって、最後のテレビになったんだよね。
たぶん、続きがきになってたんだよね。テレビのカードも、あと300くらい残ってたもんね。
おかあさんは、いつも俺のことを、あんまり見なかったよね。最後になった時も。
こうなるって分かってたら、説教して欲しかった。せめて手紙でも書き残しておいて欲しかった。
俺は、おかあさんの遺志を受けるができなかった。
俺が帰郷し家に着いた時には、おかあさんは、家で布団をかぶって寝てた。
顔のベールを上げると、やわらかい、あのおかあさんの顔だった。
話しかけても、お母さんは何も反応しない。冷たい体をゆすっても、おかあさんは目を覚まさない。
「おかあさん」と呼びかけても、おかあさんは全く反応しない。
実家には、おかあさんの仕掛りがたくさんある。台所や洗濯場、風呂場、化粧台、歯ブラシ、ぞうり、くつ、服、買って封のあいてない下着、
台所洗剤やトイレットペーパーの買い置き、しょうゆの中にある昆布、買って封の開いてないオリーブオイル、
挙げると切がないほど、おかあさんの生きた痕跡は膨大すぎる。
おかあさんは、文句1つ言わず苦しんだあげく、死んでしもた、
おかあさんは残る親父が一っ番心配だったと思う。おかあさんが入院する前に、親父が毎日着る服を衣文掛けにずらっと掛けてたし。
そうやって悲しめるのはとても良いことじゃないの みんなにとって
母っていうのは、世界でただ一人、無償で自分のことを愛してくれる人物だからね。 うちはまだ元気だけど、親孝行しなければ!と思いながら全く帰省していない…