セックス童貞は何歳であろうが捨てた方がよい。しかし、読書童貞は駄目だ。遅くても大学生の内に捨てておいた方がいい。それが無理なら読書童貞を一生つらぬけ。
読書を今までしてこなかった人間が何かの拍子で本を読み始めた時の姿は、セックス覚えたての人間と酷似している。童貞を捨てたばかりの人間が、セックスをやりまくり、セックスについて語り、童貞を馬鹿にし始めるのと同じ現象が起こる
読書童貞を捨てた人間は、とにかく読書をしまくるし、読書を語るし、読書をしていない人間を馬鹿にし始める。自らがつい今まで童貞だったことも忘れて。どこでも構わず本を開くし、本から得た知識を偉そうに人に風潮し始める。それで相手に興味を持たれないと、読書しない奴批判を始めるのだ。これが大学生ならまだいい。まだ若いで済ませられるし、そのうち脱童貞の熱も冷めて、読書との適切な付き合い方も覚えるだろう。
脱読書童貞が高齢になるとやはり恥ずかしい。俺の上司がそうで、50歳になって読書の習慣ができたらしい。ドラッカーなどのマーケティングの本が徳に好きなようで、人かまわずそれを勧めている。今まで活字を読む習慣がほとんどなかった人間が読書の習慣を持つのは凄いことであると思う。特に高齢の場合は相当珍しいことであろう。それは認める。しかし、50を越えた人間がオナニー覚え立ての猿みたいに読書をして、周囲にその知識をはき出している様は尊敬できるものではない。昔から読書をしてきた人間が読書を語るのとは違う雰囲気がある。30代の人間が風俗で童貞を捨てた後に、セックスを語りはじめると痛いでしょ? それと一緒。彼は一言でいうと「にわか」の空気を醸し出しているのだ。大体、その歳になったら本の受け売りじゃなくて自分の言葉で話せるようになっていなくてはいけないのではないか? もしくは本の知識を長い人生経験と融合させ、活用すべきではないか?
上司は脱童貞からもう2年になるがまだ童貞臭が消えてない。もうやだ、話したくない。
別に読書をする人間がエライという思想は俺は持っていない。読んでも読まんでもどっちでもいい。だが、読まないなら読まないで一生通して欲しい。読書家になるなら20代前半まで。それまでに卒業できなかったら読書界への入学資格なし。それでいいよ。
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