意志や評価を先取りされて、それを取り消すよう働きかけるには無茶な方法を用いるしかなく、またその方法はメリットよりデメリットが大きいために採用できず、先取りされたままにしておかざるを得ない、そういう状況がありますよね、ということを言いたかったのです。
今思い返すと、文献云々のくだりは必要なかった気がします。似たような実験がすでになされていて、「ダブルバインド」みたいな名称でも付けられているかも、と思って付記したのです。
(あなたへ返信する文章を考えている間に具体例をひとつ思いついたので、ここに書かせていただきます。もちろん読まなくても結構です。)
鈴木さんが街を歩いているとき、前を行っていた人がボールペンを落とします。鈴木さんはそのボールペンを以前文房具店で見ており、高価ではないことを知っていますが、そのデザインは鈴木さんの好みのど真ん中です。もろもろの理由で必要以上の出費を避けていた鈴木さんは、ずっと欲しかったものが目の前に現れて、心のゆらぎを感じます。落とし主はボールペンを落としたことに気づいていません。しかし鈴木さんは自尊の心の導きにより、落とし主にボールペンを返すべく声をかけます。落とし主は落し物を「拾ってくれた」鈴木さんに感謝の意を伝え、去っていきます。
この感謝に鈴木さんの自尊の心はダメージを受けました。終始鈴木さんは落とし主のためを思って行動したのではなかったからです。落とし主は鈴木さんの心中を知らず、ただ持ち物を拾ってくれたいい人だと認識したでしょう。ここで鈴木さんの意志(あるいは評価)は先取りされています。鈴木さんが心の痛みを取り除くために当初の企図を打ち明けたとしても、落とし主は鈴木さんに対する認識を「ペンを拾ってくれたなんだかよくわからないけど正直ないい人」と改めるだけで、鈴木さんがいい人であることは変わりません。この先取りされた意志(評価)を覆すためには、例えば追いかけていって熱弁をふるうという方法がありますが、それを行なった鈴木さんが手にするのは「変な人」というレッテルと疲労感でしょう。やる意義はあまりないです。鈴木さんにできることは、何も言わずその場を立ち去ることくらいです。
すみません、今の時点ではこのようにしか書けませんでした。私が言っているのが「こういうことってありますよね」ということであり、あなたが問うているのが「こういうこととは抽象的に言ってどういうことなのか」ということであることはわかっているのですが、私は文章作成能力と抽象化能力が致命的に未熟なようです。本当に申し訳ありません。
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