2013-06-19

懲悪という悪行について

昨今、被疑者被告に対する世論が厳しくなっているなど、世間の懲悪性が高まってきているように思う。

極悪を嫌うのは人の心として健全でありいいことだが、そういうみなさんには是非「偽善者」にならないように気をつけてほしい。

まり正義という名目の元に自己満足な悪行を働かないで欲しいということだ。

大津いじめ事件では、(他の事件でもありがちだけど)「加害者」とされた子供の家に嫌がらせ電話手紙殺到し、子供たちは転校先でいじめに近い状況にあったという。

彼らだけが加害者なのか、クラスの他の子供たちは被害者に一切のいじめをしなかったのか。またいじめの原因が加害者だけにあったのか。

こういうことがわからずに、というか考えてもないんだろうけど、一方的に悪を決めつけて攻撃する人たちは醜いなあとしみじみ感じた記憶がある。

あとああやってよってたかって攻撃するのをいじめと言うんじゃないかなあとも思ったけど、それは今回の趣旨から離れるので置いておく。

こちらの方がより共感を得られるだろうか、乙武氏の事件においても、信者というか彼のフォロワー達が断片的な情報をもとに一斉に相手の店長及び店に攻撃を加えた。

乙武氏側と店側の双方に悪いところがあったと個人的には思っているがそれは置いといて、この事件で誰が一番悪いかというと自己満足のために懲悪のつもりで嫌がらせしまくった第三者の皆さんじゃなかろうか。

私は正義の味方ではないので全ての悪行をやめろと言いたいわけではない。

ただ偽善による悪行は誰のためにもならないしとても愚かで醜く見えるので嫌いだ。やめて欲しい。

もう少しばかり正義について謙虚に、悪について寛容になって欲しいな、と思う世の中である

  • そういう人を指すのに「偽善者」って言葉はなんかイメージ違う気がする 本人は善意でやってるつもりなんだから「善意の暗黒面に堕ちた人」とかそういう感じ

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