アニメ愛好家として「好き/嫌い」「凄い/凄くない」を区別できるか否か - シロクマの屑籠
すごいかどうか、自分が面白いと思ったかどうかを分けて考えろという話。これを読んで自問自答したこと。
「自分が面白いと思ったかどうか」という点について同様にスライドして考えると、「一般的に面白いと言われているかどうか」「自分が面白いと思ったかどうか」ということの違いでも同様のことが言える。
アニメ感想ブログや2ちゃんねる、まとめブログやネットニュースサイトなどでは、放送直後からライター、掲示板の感想等が入り乱れる。
自分の感想が定まらずにもやもやとした感情を抱いたままそれらを見てしまうと、「これはこう捉えるのが正しいのだ」という情報で上書きされてしまい、それを自分の感想であるかのように錯覚してしまう。
多少の違和感を押さえつけてまで同調し、周りに合わせて波に乗ろうとする。流されるのはラクだし、安全だし、安心できるから。
しかし、ここでいう多少の違和感こそが自分だけが持つ独自の考えであり、本来大事にされるべきなんじゃないか。
ネットの時流、一般的、世間的な評価に合わせた感想、考えを知ることは悪いことではないが、自分もそうである必要はまったくない。
多数派に属するという安寧のためだけに自分で考えることを放棄した先には、無感動な一般論しか残らない。
動画サイトでコメントを見ながら動画を見ることにもつながるかもしれない。このコメントがついているからこれはこう解釈すべき、ここでツッコミをすべき等。
それらがすべて悪いと言っているわけではない。そういった情報の奔流を認識した上でそれらとは別に自分の考えを持つことができているという自覚があるかということだ。
もやもやをどうにかしたいというための手段としてググるのはアリだし否定はしない。でもその前にとりあえずでもいいから自分の中で一つ決着をつけといたほうが楽しくなるかもよ!