2013-04-07

呼吸するみたいに外界に開いていたい。

 すぐに気持ちが落ち込んでしまう。全く困ったもので、次から次へと心配の種が出てきてしまう。考えすぎなことばかり。もっとおおらかになりたい。めんどくさがりではなくてざっくりした人になりたい。心が広くて、立ち上がれる人になりたい。人にやさしくなりたい。だけど自然に生きていきたい。呼吸するみたいに外界に開いていたい。

 過去自分と今の自分はまるで違う人間なんだな、と以前住んでいた場所たまたま見て思った。あのころの私は悩み事もそうなく、率直に考えなしに言葉を発していた。自分のしたいように生きていた。自己反省の欠如。自分の持つ言葉が、どれだけ重いか、人を癒しえて同時に傷つけ得るか自覚しないで。楽だったけれど、きっと私はあの頃間違ってた。 今でも私は意見を言うほうだし、自分に嘘をつきたくないと思っている。でも以前よりずっと、いろんなものが怖くなった。意見が違うことが怖いし、私の発言で人を傷つけるのが怖い。もしかしたら嫌われるかもしれない。すぐ感情的になってしまうし。言わなきゃよかったって思うことだっていっぱいある。 話すことをやめたこともあった。何も言わずに心の中で苦しんでたこともあった。言えないことは私を動けなくさせた。私を知りもしない人が、勝手に私のイメージを決めていって、つらいこともあった。知ってほしくて、わかってほしくて。でも願うだけじゃだめだった。

 でもそれは、たぶんこれからもずっとそうだ。意見を言っても言わなくても、私が発信できるのは私の一部だけなのだから。必ず誤差は生じる。私みたいな人間はいだって生きづらいかも。孤独をいつも感じるかも。 だったら言葉を尽くそう。行動しよう。発言はリスクを伴う。相手と違うことはもっと怖い。だけど分かってほしいなら、誠実に相手と付き合いたいなら、私をちゃんと見せなければ。どうせ発信するならより正確な情報を。怖いけど。でもそれは過剰でもいけない。 そして人の話をよく聞くこと。言葉を聞き、行動を見て、それを理解しようとしよう。それが私にとって受け入れられるかは、その時点じゃ重要じゃない。聞かないまま相手を判断するのは誤解のもとだ。必ず聞こう。そしてまず主観はできるだけ排する。判断はそのあとでいい。でも自分と違うからといって相手を間違いと決めるのはだめだ。そうしてしまいがちだけど。そうじゃない。そうじゃないんだよ。 価値観を合わせろっていうんじゃない。なんでも受け入れろっていうわけじゃない。そうではなくて、許せない自分がいてもいいから、でもそういうもんなんだと理解したい。私は忘れがちだから書いておくけど。そこにはこういう考え方があって、こういう人がいるのだということは、そしてそこに、絶対的な尺度もなければ正解も間違いもなく、私にはその決定権もないということを。

 誰かが私に向け発信する言葉を誠実に受け止められるようになりますように。悩みなく見える人も、いつも楽しそうな人も悲しそうな人も、心のうちに必ずいろんな「くるしい」を抱えてる。それでも世界で生きている。そして私と話をしている。隣にいる。そのことの尊さを忘れたくない。それは当り前じゃない。みんな苦しくて、悲しくて、でも人と接することをあきらめずに生きてる。そしてそんな世界の中に私は含まれてるんだ。含んでくれているんだ。それがどれだけ勇気がいることか。 忘れちゃだめだ。それを忘れてしまったら、私のこれまでは全部意味がなくなってしまう。すべての人に敬意を。他者への寛容は同時に自分をも解放する。 そしていつか、自分を認めてあげられたなら、それがいい。だからだいじょうぶ。私はここで息をしているよ。もっともっと前へ進もう。だいじょうぶ。このことを忘れない限り、だいじょうぶ

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