「この人は世の中の流れに乗れないタイプの人なのね」
って思われることになる。
少なくとも世の中の時流に乗って生きている人には。
たいてい頭の回転の早い人というか
人の価値観の変化や世の中の動きを読みこなした人だよね。
でも頭の回転の早い人には
どうしたいんでしょう?などと素直に応えてしまう。
そういうところがり弱いんだよな、人格力が。
でも経済成長してて大量消費社会が続いている時代はそれで良かった。
とりあえず生きる楽しさがあったから、虚構文化に乗っていれば楽しく生きられた。
「とりあえず生きる楽しさ」なんてものは
だからもう団塊の世代の虚構から逃走していられる状況じゃない。
自分がなにをしたいのか、はっきりさせて行動しないといけない。
虚無感や飢餓感が勝って生きていけない。
頭の回転の早さではなく、飢え。
自分の人生に興味が持てない。 良い大学に進学して、一流企業に就職して、結婚して、子供作って、マイホーム云々とか。 所謂目標みたいなものがない。 飢えない程度に稼げればいい...
多いと思うけど、たたかれるのはなぜだろうね? 言い方が悪いんじゃない? それこそ「飢えない程度に稼」ぐのにも必死な人もいるわけだし。 贅沢な悩みだよ。
贅沢なのかなぁ。 特に目標もなくダラダラ生きるってそれほど苦しくもない代わりに、楽しくもないんだよね。真綿で首ギリギリみたいな。
世の中っていうのはだいたい団塊世代の価値観で動いているから 団塊世代的な夢とか目標の無意味さをリアルで否定したら 「この人は世の中の流れに乗れないタイプの人なのね」 って...
団塊世代みたいに自分で目標を作ったり 人生そのものを創ることが下手。 いやw 団塊とかその辺の世代こそ、思考停止して言われた通りに社会の奴隷となって「家族・車・マイホー...
家族がないので・・・車もいらないし、家があっても仕方がない。 家族ほしいよね。