昔の衆愚というのはマスコミに踊らされてのものが多かったんだけど、最近はインターネットが発達しマスコミへの信頼もガタ落ちになってそれとは違った衆愚、すなわちパーソナル連動型の衆愚が見られるようになってきた。個々人が似た人間の意見に影響されるというパーソナルコミュニケーションがインターネットにより増幅されるという形をとる。それがパーソナル連動型の衆愚。マスコミにはヤラセや偏向報道や情報隠蔽が全く無いわけではないが、マスコミの情報にも一定の信頼性は置けるのであって、それよりも「友達が言ってた」「dankogaiが言ってた」に代表されるような伝聞式の情報を鵜呑みにするというのは如何なものかと思う。マスコミはたしかに不正確なこともあるかもしれないが、伝聞のほうがさらに不正確である。テレビにでてる御用学者の見解はたしかに真に受けるのは危険だが、周りのみんなが言ってるような噂を真に受けるのも相当危険なことである。自分で考える能力のある人間であれば、考えるための情報ソースとしてマスコミの情報を一つの重要なソースとして採用するであろう。もちろん、他にも一次情報またはそれに準ずる情報を入手する経路はいくらでもあるけれども、少なくとも一つの重要ソースとしてマスコミの情報を視野に入れるはずだ。もちろん、その際には情報の裏を読み解くリテラシーが大切であることは言うまでもない。賢い人間であればそうする。ところが、衆愚というのはこれとは逆にマスコミというだけで信用しない。それよりもデマを信じる。なぜデマを信じるかという根拠を問いただすときちんと回答できない。訳の分からない不安だとか、訳の分からない党派的な考えに囚われていることは間違いないが。ともかく、きちんとした理由無しに周りに流されて情報を取捨選択していることは明らかである。しかも、インターネットが普及している時代だからその衆愚性がドンドン増幅していくという現象が起きる。ある人の考えがネットで全国に公開されることで、それに共鳴した人間たちが理由も無しに信じているその信念をさらに強めて、その人達がまた別の場所で意見を公開するという具合に。俺は30代だから一応ネットが生まれる前の時代をよく知っているんだけど、昔はそういう形で衆愚が生まれることはなかったね。昔の衆愚というとマスメディアに受動的に影響されて生まれた馬鹿たちという印象。だからマスコミの統制下にあるだけまだマシとも言えた。ところが今はネットだから誰の統制下にも無くて、大衆が暴走した時にブレーキをかけるものが何も無いのではないかと懸念している次第だ。
「テレビで言ってた」
だからどうしたとしかいいようがない。テレビを真に受けることは危険ということを言ってるんだが。早朝だからって斜め読みして断片的に理解して脊髄反射すれば良いってもんじゃな...
正確には「テレビで言ってたらしい」か (視聴者にとっての)最初のソースがテレビや雑誌や新聞だとしても、誰もかもがそれを見てるわけじゃなし、 マスメディア式の衆愚が踊らされ...
そういうこと分かった上でだからどうしたって言ったんだけど、めんどくさそうな人だからそれについてはもう深追いしない。人のことについて意見を出す場合はもっと相手のこと理解...
表題にある両者間の、実質的な違いが分からない 言い方を変えると、インターネットのどの辺に、従来型の伝聞・言説生成ネットワークとの質的な違いを感じているのか、よく分からな...
ポストモダンにおける相対化された価値の社会については知っていると思う。これが加速しているんだよ、パーソナル連動型というのは。それはどういうことかと言えば、簡単で分かり...