http://anond.hatelabo.jp/20090705010148
『序』をつまらないとかいう人間が、「卒業できてない」わけないだろ。
つっか、お前は最初から入学さえしてなかったんだよ、俺にいわせりゃ。
テレビ版の画コンテ、レイアウト、原画が12年後のCG満載の映像に作り替えても
そのまま素材として使えることの凄さとか、
(テレビ版第3使徒戦が新劇場版第4使徒戦になって、古さを全く感じさせないのにはマジで心が震えたね)
テレビ版六話までのストーリーラインの中に、テレビ版のまとめ(逃げ出しそうになる→這い上がるという19話でも見られる構図、
電車内の心理描写)など、テレビ版の要素をまとめ、さらに脱セカイ系や脱謎解きといった、テレビ版から切り離したいメッセージを示し。
そういうメッセージを一切無視して単に退屈だったというなら、そもそもテレビ版を単にブームに浮かれて
上っ面の消費しかしてなかったんじゃねえの。
FXで利益が出れば、雑所得として確定申告することになります。
確定申告書には、「給与所得以外の住民税の徴収方法の選択」という欄があります。
ここで、給与から差引き(特別徴収)を選ぶと、会社の給与所得と合わせて会社へ住民税の通知が送られます。つまり会社にバレます。
確定申告書には「給与所得以外の住民税の徴収方法の選択」という箇所があり、
ここで特別徴収を選んでしまうと、
残念ながら会社にばれてしまいます。
それは上記の箇所に印をつけずに自分で納付。
つまり普通徴収を選ぶのです。
こんなことを書いていた人がいた。
「ボクはこんな人たちの、それでもこの国にいたい、というささやかで切実な声を、法のコトバにかえて語ってきた。何百万ものコトバを、何千人もの人たちにむけて語りかけてきた。彼らに同情する人にも、彼らが増えると治安が悪化すると気軽に口にする人にも、また外国人の管理の名の下に彼らを叩き出そうとする権力をふるう人たちにも。それは、外国人の在留なんて国の裁量でどうにでもできるんだ、外国人の人権なんて在留管理制度の枠内でしか保証されないんだ、という、この国の外国人にのしかかる圧倒的な制度の力を解体するための、必死の営みだったのだ。
『反日上等』は、この国にいたい、と願う人たちの心からしぼり出されたコトバなのか。
この国の人々の心を揺さぶり、外国人にのしかかる、圧倒的な『制度の力』を解体する可能性を秘めたコトバなのか。」
これに、id:Romanceやid:toledは、茶化しで返し、お仲間がいっぱい☆をつけたあとで、反日上等がハイクのキーワードに上がった。あとは、母子家庭、橋下懲戒、サヨクの偽善はいらん(その人に対する当て擦り)、有給休暇と、移り気な彼らのお好みの話題のニュースのリンクが絶叫とともに並び、やがてネタ→罵倒→ネタ→罵倒・・・
ワンフレーズや罵倒をきらい、今はwebにいないこの人は、こんなことも書いていた。
「コトバを弄ぶ者は、いつかそのコトバに復讐されるのだ。」と。
あなた、疲れてますよ。
死にたいのは自然の摂理。だからそれが起っても耳を貸さずに。ドクデンパだから。
薬呑んでて調子良くなったら処方が良かったんだ。そのままゴー
飲みに行くのが辛くなければ飲みにもゴー
お大事に
ドクデンパが起ってもその方向で考えないこと
気持ちは分かるけど
「ドラえもん」のカミナリさんとか、「浦安鉄筋家族」のポセイドン笠原とか、
昔の子供は、やたらと怒鳴るじいさん、というのを町内に一人は知ってたもんだ。
(その理由が正当か不当か、というのは問題にならない)
類似品にいじわるばあさん。
下手すれば自分のじいさんばあさんとも暮らしてなかったりするから
年齢や生活環境が異なる人と触れ合うのはよいことだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090705131935
I have no idea about what you are talking about, but the sentence you put there did not make any sense to me. So please bear with me but read on.
As opposed to 'cannot advance' (it makes no sense.) use 'to make any progress.' Or you might have wanted to say,
Can't you change?
Get real.
etc. might sound more appropriate in the context that is to urge the arrested development cases to grow up and to cast their eyes on something more practical and realistic than the imaginary world as the excitment in TV animation.
少子化対策が間に合ってないみたいですけど
昼間のスーパーは老人しかいません
見渡す限りお年寄りです
入り口にベンチが何個かあるんだけど
そこにびっちりお年寄りが座ってます
病院の待ち合い室のようにみんなでおしゃべりしてます
だいぶこの光景に慣れたけど
この前突然キレかかる老人に出会いました
会計を終え、袋に詰めてさあ帰ろうと思ったら
通路にカートを横付けし、袋をつめる台に腰掛け、
出口をふさぐおじいさんがいました
「すみません、通してください」とお願いしたら
突然
「むこうから回ればいいだろっっっっ」と怒鳴られた。
キレかかる老人に出会ったことがなかったので
呆然と言い返せず回り道しましたが…
後から怒りが。
お年寄りにもたつく権利を…と
レジで小銭でもたついたりなんだりの
映像が流れてた気がするんだけど
あれは一人二人なら気になりませんが
これから自分が老人になって
まわりもほとんど老人でこのペースだったら
数少ない若者はどこまで我慢してくれるのだろう
とちょっと怖くなりました
近藤真彦でわ。
マッチですか。昔家庭教師してた男の子がマッチが九十年代最後ちょっとだけ復活したとき強引にファンにさせられてたって言ってた。どういうんだそれ?
リニア中央新幹線のルート問題については、なかなか解決の糸口が見つからないようだ。
長野県の推す「Bルート」は長野県内に大きくカーブするために、時間的なロスがあると言われている。
だがちょっと待って欲しい。ロスはゼロにはならないが、極めて少なくする方法は存在する。
しかも、それほど難しい話ではない。
東北大学の大学院生自殺事件について、大学の内部に対する対応に不満を持っているとのお話ですが、ぜひ情報公開室の利用を。
国立大学は法人化したとはいえ、独立行政法人に準ずる機関として情報公開請求に応じる責務を負っています。当然、請求するのが内部者であろうとも、です。開示できない種類の情報もありますが、報道機関に対して回答できるようなものは開示してしかるべきものでしょう。
開示を求めることで、あなたの問題意識を大学当局に伝えてあげてください。声というのは発さなければなかなか届かないもので、直接的でない要求への対応は後手後手になってしまいがちです。もちろん大学としては自発的に対応すべきことなのですが・・・。しかし、うわさ話だけで悲歌慷慨するのではなく具体的な行動を起こすことは、真摯に応じたいと考えている人の手助けにもなるはずです。
ヱヴァを昨日観た。まだ気分がもやもやする。増田で申し訳ないが、世間の絶賛の波に乗れなかった一人として感想を書き留めさせてほしい。(以下ネタバレを気にする人はスルー推奨)
旧作エヴァはとことん愚直に立ち止まって考えるアニメだった。「ぼくが何をやっても人を傷つけるだけだ、だったら何もしないほうがいい」。ロボットアニメの主人公がこんなことを言ってしまったら、物語はどこへも進まないのは誰が見てもわかる。あまりにミもフタもなさすぎる。だけどそこまで言ってしまうミもフタもなさに俺は惹かれた。ロボットに乗って戦う少年少女という「いかにもアニメ」な世界観を提示しながら、そこから視聴者を突き放すのがエヴァだった。
ああ、なのに。それなのに。10年経って帰ってきたのはいかにもヒーロー然とした碇シンジとそれを取り巻く生暖かい級友たち、そして予定調和がいっぱいの「いかにもアニメ」な世界だった。あのメガネ娘が空からシンジに衝突して「メガネ、メガネ…」と地面を撫で回し始めたところで俺はげんなりした。さんざんあれこれ遠回りして、結局戻ってきた場所がここかと。製作者は「アニメ的なお約束もネタとして楽しめるようになったんですよ」というつもりなのかもしれないが、単に居心地のいい世界に帰っただけにしか見えない。メガネ萌えというカルチャーや、美少女が主人公にぶつかるお約束を知らなければ、そもそもあのシーンの意味すらわからない。昔、あんなに「現実に帰れ」といっていたのは何だったのか。安野モヨコの漫画に対して「現実と向き合っている」とか「EVAでやりたくてできなかったことが実現されていた」と絶賛していたのに、そこから何も学ばなかったのか。
アニメの世界には、主人公にとって都合のいい女の子しか出してはいけないという憲法がある。旧作エヴァはその点を一応押さえつつも、あくまでも他者であるというエクスキューズを忘れていなかったと思う。アスカはシンジを最後の一線で拒絶していたし、レイもシンジに完全には心を開かなかった。それに比べて今作は、「シンジが望めば普通にやらせてくれそうな女子」が多すぎる。反吐がでそうだ。
そして何より、正真正銘のヒーローになってしまった碇シンジ。俺が思うヒーローの条件はいくつかあって、理由なく周囲から好かれていること、敵を倒すことに疑問を持たないこと、そしてストーリー上重要でない人の存在を簡単に無視できることだ。ハリー・ポッターは悪人にもそれ相応の事情があるかもしれないなんて考えもしない。「この卑怯者め!」と言って打ちのめすだけだ。エヴァはそんなアニメじゃなかった。敵である使徒も本来は人類と平等の可能性をもった兄弟であり、一方でシンジの一番の敵は父である碇ゲンドウだという背反する設定こそが、エヴァをのドラマ性を高めていたはずだ。それが今作の使徒の描き方はどうだろう。あれじゃただのモンスターだ。特にあの空に浮かぶ球体のあいつ、シンジに心理攻撃を仕掛けた16話の使徒のエピソードがカットされてしまったのが痛い。使徒は憎むべきモンスターだという、ただそれだけで、シンジの心を映す鏡ではなくなってしまった。そんなの悲しすぎる。
今作のシンジは紛れもなくヒーローだった。カッコよすぎるくらいカッコよかった。本当は俺もシンジ君のカッコよさに素直に感動したい。褒め称えたい。でも、最後に一番大事な人の名前を呼ぶのに忙しくてもう一人の重傷者のことを完全に忘れていたところで、俺は動揺してどうしたらいいかわからなくなったんだよ。一番嫌だったのはあの「せめて●●だけは助けたい」ってやつだ。なんだ、その都合よく話をまとめるためだけの安い台詞は。要するに「もう一人の話は次回の映画で伏線回収するので、いまはこっちの人に集中してくださいね」ってことか。物語的にはそれでよくても、俺はよくない。そんな製作者のご都合主義が匂ってくる台詞をシンジから聞きたくなかった。そうやって感情を整理できるようになったんだね君は。立ち止まって考えるのをやめて、物語のために必要な台詞だけを吐けるようになったんだね。それが「大人になる」ことだって言うのなら、エヴァにハマったあの頃の俺を返してほしい。
幸福の科学のアニメじゃあるまいし、あの程度の葛藤を乗り越えたくらいで頭から天使の輪が生えてくるのも気色悪い。こんな鈍感なヒーローが「人間を越えた天使」になるなんて、馬鹿も休み休み言え。正直に言えば、旧映画版でもシンジだけが特別な人間として生き残ることには違和感を感じていたんだが、あの時はシンジがあそこまで自己否定して追い詰められた後だったからまだ理解できた。それがどうだ。こんなに易々とカッコよく天使になってしまう今作のシンジ。現実世界にどれだけの絶望が転がってると思ってるんだ、もう一度「鳥についばまれて左目の飛び出た弐号機」からやり直して来い!
確かに旧作エヴァは病んでいた。エヴァを真面目に自分に当てはめようとすればするほど、自意識でがんじがらめになっていく感じはあった。だけどそこを出発点にして、みんな別のところに辿りついたはずじゃないのか、と思う。自分の場合、旧作エヴァを観ていた頃は熱に浮かされて「エヴァ的なもの」以外への興味をなくしていた。だけどそのあと、エヴァと全然違う面白さを持つ漫画や小説、映画とたくさん出会った。現実の生活にも10年分の変化があった。その中でエヴァという作品と距離を取れるようになり、エヴァを咀嚼して自分の血肉にできるようになっていったと思える。あの時エヴァにはまったほかの人も、それぞれ辿りついたんだろうと思っていた。その出発点が、今作で否定されている気がする。昔の友達にもらった手紙を大事にとっておいたのに、久しぶりに会ったら「あれ、なかったことにして」と言われた気分だ。
『序』『破』を見ていて飽きないのはわかる。映像に惹きこまれるのもわかる。だけど皆、こんな切実さのかけらもない馴れ合い世界で本当に満足なのか。スペクタクルと萌え要素があればそれでいいのか。こんなものが50年後に残る傑作だなんて、何かの悪い冗談じゃないかと俺は思う。
Lunascape Part22
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/win/1242592454/278-281n
278 :名無し~3.EXE:2009/06/17(水) 10:30:24 ID:PVXGeGeO
原因はなんだろう?
IEで見るとちゃんと表示されるんだけど
281 :名無し~3.EXE:2009/06/17(水) 12:03:58 ID:gtLHl2yq
Geckoのこと?
http://anond.hatelabo.jp/20090703211036
自殺関連の告知を大学がしないということですが、それは当然です。
書くとしたら告知を書く役割を担うのは教員であり、その教員が同僚の教員の悪評を書くことができるかといえば、やはり書けないのです。どんな教員も同じくらい何かしらの弱点を持っており、もし他人の悪評を書いてしまうと、次に自分が狙われる可能性が高くなってしまうからです。
私が学部を卒業した研究室の教員も、十年以上和文誌にすら論文が掲載されていない状況が続いていましたが、どの教員もそこはつつけずにいたようです。論文業績の話すらできないのですから、自殺の話などできるはずがありません。