http://anond.hatelabo.jp/20090309155514
こっちもサポート経験者だから、窓口でできることできないことはわかる。
少なくとも客に電話代を負担させないように折り返すくらいのことはやれ。
去年やったんだからサービスを低下させるな。
それから親にホテル宿泊をプレゼントするために子どもが予約することを
認めるのはそんなにおかしいことなのか?
イレギュラーというほどのおおげさなことなのか?
別にディズニーじゃなくてもやれることだろ?
チェックインまで付き合うと言ってるんだ。
なんのリスクがあるというんだ。
プンスカ。
いや、そこで「自署が必要」とか言ってるのがどうしようもないと思うんだよね。
もちろん当座の給付方法の実現可能性の話をしてるんじゃなくて、方法論的なコンセプトとしてね。
別に自署なんて他人が書いても判別不可能なわけだし(わざわざ筆跡鑑定なんてやるわけないしデータもないでしょ)、
足が出かねないのは俺はわかってるつもり。
顎足枕別だとか共演者には別にとか……まぁそれはどうでもいいんだが。
ただそれこそ予算の話とかで、たとえば役所に補助金貰う時なんかは
時給15万円!みたいな話をしちゃう文化担当の課長さんとかいるわけだ。
自分の小遣いと比べて考えてるんだろうなと思う。
公務員だと(サラリーマンだと?)そういう感覚は無い人が存在する。
個人事業主に仕事して貰う時はリーマンよりは外形上高く見えて当然。
のハズなんだけどなぁ。
ってかこんなのこそネット申込みにすればいいんだよなあ。
ジジババ要員に少し窓口作ればいいだけだ。彼らは時間があるから少数の窓口で十分だし。
この文章の客観性についての説明を求めます。
・ビッチが多いというのはどのような観測に基づくものか
・何と比較したものか
・ビッチが原因で結婚したくない人が多いというのは、どのような統計情報によるものか
・日本の女と結婚したくないというのと、彼女を作らないとの因果関係は?
よろしくお願いします。
年金や健康保険や失業保険の実務を抱え込み、莫大な人員と資産を持ち、天下り先を抱え込んでいるから、大きすぎるのである。
細かく分割しても、見た目が小さくなるだけでやっている事は変わらないとなれば、時間の無駄でしかない。そもそも、厚生省と労働省をまとめたのは、人民の生産力を高め、維持する為の施政を一元化する為であり、政府の企業に対する指導力を発揮させる為である。しかし、実際には、年金の支払い原資不足や、雇用の消滅といった問題に対し指導力どころではない状態にある。
厚労大臣を火中の栗と評するのは、政治献金の出し手である企業に対し、労働者=有権者の立場を主張していかなければならないポストだからである。年金や健康保険の問題は納税預金のような払い出し書が無ければ引き出せない口座を使って積み立て、残高を常に明示する方法によって解決可能であり、解決方法が存在する問題では火中の栗にはならない。
ハローワークにしても、年金事務所にしても、労働基準監督所にしても、個別の敷地を持ち、自前の建物を持ち、現地採用の人員を抱え込んでいる。郵政省以上に無駄が多い組織である事は自明である。
厚労省が抱え込んでいる実務を全て統合するというのは、一番ぬるい処分である。民間や地方自治体に引き渡し、実務関係の人員を減らしていくというのが本筋である。省庁の序列において、国家予算に占める割合が重要度であり、抱える人員や利権が多ければ多いほど、省庁の序列を上げられるという間違った考えが暴走した結果の一つが、今の厚労省の姿である。
他にも、国土交通省関連の陸運局や河川局や道路局土木事務所とか、輸入小麦や輸入豚肉の国内産業保護の為の価格維持制度が、関税ではないからという理由で農水省の収入となっている等、探せばいくらでも合理化のネタは出てくる。
必ずしも適正でないっつーか、それこそ市役所主催のコンサートとかだと
バカな奴がいること。全体のコストで考えればしょうがなかろうに。
おいおい。クラシックの演奏家は段取りからパフォーマンスまで基本的には一人でやるのでそれくらいとって当然だと思うけど。伴奏者もしくは共演者がいる場合にその人たちへのギャラ&衣装&客を満足させるだけの自分たちの演奏技量&演奏会パンフレットや広告(誰かに依頼した場合はそのギャラ)・宣伝・営業・当日までの段取り&交通費とかがはいってくるから、ぶっちゃけ2時間コンサートで30万とか場合によっては足が出てると思うよ。
クラシックは割とそれに近いビジネスモデルじゃね-かなーと思った。
主にライブパフォーマンスとレッスンとかで生計成り立ってるしね彼ら。
(爆発的に儲けるには他の要素が必要だったりするが)
つべとかでクラシックの演奏動画とか消されてる印象あんまり無い。
知らないだけかもしれんけど。
技術より知名度(見た目とかもあるけど)の方が集客に影響するから
必ずしも適正でないっつーか、それこそ市役所主催のコンサートとかだと
バカな奴がいること。全体のコストで考えればしょうがなかろうに。
日本の店はどこもかしこもBGM流しまくりだからなあ。鼻歌しにくいし暗算に集中しにくいし。かといってノイズキャンセラーのヘッドホンは高そうだし持ち歩かなきゃいけないし周囲の音が聞こえなくなるから危ないし買い物全部通販にするのも非現実的。
いや、そういう細かい違いの話じゃなくて要するに「世の中が正しさとか関係なく俺の思い通りになればいいのに」と言ってるのと変わらんもんなって話。
というのがよくわかる。
ライブドア事件というのは、私のようなロスジェネ世代に属しつつもそれなりのキャリアを積んできた人間にとってはインパクトの大きな出来事だった。「ロスジェネ=ワープア、ニート」というわけでもなく、ロスジェネ世代の中にも運よく職を得てそこそこのキャリアと年収を積んだ層がいる。
条件つけて細分化してたらもはや世代でもなんでもないだろう。
世代ごとの対立に加えて、さらに世代内での対立でもやっていたいのだろうか。
僕らが慣れ親しんできた新自由主義的な考えそのものにすら黄信号が灯りはじめているように見える。今まではコップの中で考えておけばよかったけれども、もう少し広い範囲で考えるようにしなくてはいけない。
ちょっとまでワープアとかいって見下してたんだろうな。「もう少し広い範囲で考える」そのための世代ですか。
お願いだから一緒にしないで。あなた方のような人たちは、少し上のバブル世代と仲良く"古き良き"過去を懐かしんでいてください。
はいはい横から。
多くの場合は人口輪切りで行われたりする。
いくつか類型団体としてあげるようなことが行われる。
大きく違うって事がわかる。
同じ人口であっても異なってくるわけだ。
離島なんかに行くと人口規模が小さくても、商店が充実してたりする
(同じ規模の町であったとしてね)
地方は地方でかなり色々違うもんだと。
垂れ流しのようにされてる芸術の中にも消え去って欲しいジャンルとか利用形態とかあるわけで。著作権料を著作権保持者と俺(金の横取りだあね)で折半とかいうのとは、そうなっても著作権保持者の生活が著作権料で成り立ってしまう可能性があるという点において、やっぱり微妙に違うと思う。
抽象的な話しでスマン
俺の場合、以前までは「ふーん」で流してたような個人的で主観的な話しを、
「うんうん、分かる分かる」って共感できる事が増えたな。
そういうフレーズを見たり聞いたりするけどその感覚がよくわからない。
好きならむしろ安心だし、疑う気すら起きないんだが・・・そう思える人じゃないと好きにもなれないし・・・
というか何がどう不安なの?
浮気されないかとか?
そんなのされてから考えればいいじゃん。疑うだけ時間と気力の無駄。
好きな子ができちゃったらとか?
そりゃできることもあるだろうよ。
世界に自分たちしか居ないわけじゃあるまいし、むしろ選ばれ続けることに意味があるのではないのかと。
自分だけを見て欲しい!とか、よくわからない。
好きじゃなくなっちゃったらとか?
そりゃ冷めることもあるだろうよ。
しかし今からそれを考えてどうするよ。そうならないように前向きに努力してればよくない?
「自信がないから不安になる」とか言われてもさ、
自信が無いのは相手のせいではないわけで、冷たい言い方だが、それは自分の問題じゃない?
そりゃ手助けできるものならできる限りしてあげたいけれども、そんなふうに得た自信って、じゃあ別れたらどうなるの、と。
そういう依存的なものではなくて根本的に解決しなきゃどうにもならんのではないかしら。
まぁ不安だって訴えられれば、それを取り除く努力はするけどさ。
そういう努力をするのが思いやりだと主張するなら、相手を信じたり、自ら前向きにやっていこうと努力するのも思いやりなんじゃないのかと。
古巣にもっとも欠けていたのは消費モデル。年収いくらくらいの,どういう家族構成の人が,どんな目的で,どのくらいの性能のものを求めて,どのくらいの価格帯のものを買うのか。そういう,最終的な消費の場における使用イメージと,それにあわせた営業戦略が欠けていた。研究所の人間が「ぼくのかんがえたすごいかでん」を無策な営業におしつけてる構造。
業務用の超最先端の技術なんて,家電にまったくあてはまらない。超高温下でのプラズマ制御や原子レベルでの三次元IC構築が,家庭用品に何の役に立つ? 仮に役立ったとしても,その手の技術は輸出管理にひっかかるから,家電生産につかう中国工場なんかにはもっていけないよ。