はてなキーワード: ブッダとは
「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。
ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。
彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。
というか、そもそも自分が宗教団体に属しているという認識が薄いようです。
あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。
彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学のグループだった、とかその程度らしいです。
社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。
そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。
以下「救世の法」から面白げなところピックアップ。別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ。
世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました
幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています。
世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。
・人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります。
しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます。
地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。
上記の真理に反すると地獄に落ちてしまいます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。
霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教の役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。
エル・カンターレは世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。
魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドのブッダを越える大きな使命を持っています。
そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。
私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。
なぜなら、私は創造そのものだからです。私はこの地球の創造力の顕現であり、この大宇宙の創造力なのです。
これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。
クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。
他力の宗教のマーケットは自力の宗教の十倍あると言われています。
わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります。
2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。
この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります。
この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。
店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています。
本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。
地球はやがてフォトンベルトから出ます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います。
むしろフォトンベルトが地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。
国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります。
本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、
これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。
今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく
日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。
アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。
こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています。
漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。
しかし幸福の科学の経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます。
信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。
わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります。
また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。
死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分も存在しないのですから何の損もないでしょう?
わたしの言葉を信じる人の場合、あの世があるときの利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。
親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。
幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法、理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。
慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。
ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。
他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。
そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。
そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。
慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。
そのために人はみな修行をする必要が有るのです。
さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。
ミハエルとムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。
九次元霊マニがゾロアスターにアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。
霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本からは松下幸之助と坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!
争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。
読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め。
幸福の科学グループのご案内。
主な活動は以下のとおり
「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア」
「学校法人 幸福の科学学園(滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。
「幸福の科学出版」
入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。
1年くらい前までは頭の中が欝っぽい考えでグルグルに回ってても「それでも働かないと生きていけないし」などと言いながら過ごして
まだ20代なんだけど、若いながらも死にそうになっていた。親類が死んだこととかも関係して精神が滅入ってたのもある。
元々病みやすい部類には入っていたのかもしれない。
よく病んだとか言ってたし。今だったら10代の娘とかでも、「ちょー欝なんだけどー」だなんだの言ってない?
そういう悩みから解放されたい一心で、例えばカウンセリングに行ったりとか、まぁ各種様々な方法を探しまくった。
自己啓発とかそんなんに頼ろうが、もう身体が辛くてどうあがいても生産性が上がらなかった。だから直接的に効く方法を探しまくった。
でも効果がそもそもなかったり、一過性であったり、副作用があったり、なにぶん辛いことが多かった。
「金と時間と気力を消耗する」ものばかりだったわけだ。んな方法が続くわけない。
もしかしたら体質でどうにもならないもんなのかと思っていた時に出会ったのが今回ご紹介する「ヴィパッサナー瞑想」。
最近はテレビなんかでも出ているときがあるので知っている人がいるかもしれない。
それなりに有名になってきたのだ。この記事を読んでからでいいんで、googleで「ヴィパッサナー瞑想」で検索してください。
俺が絶対的に要望としてもっていたのは
1.金がかからず、高い質
2.気力がいらない
精神の悩みでいうと
1.胸のつまり(なぜつまるのか、よくわからんが、呼吸するのが辛かった。生きるのがむなしかった。)
2.心の疲れ(潤いがない。乾きまくり、人間にとって優しさが大事とはよく聞いていたけど、なぜかそれを心でよく感じていた。イライラがしんどかった)
3.頭ん中グルグル回る悪い想像(これは今思うとこれに振り回されていたんだなという感じで、重くて、辛かった。)
の3つ。今思うと、よく↑で仕事していたと思うわ。過去の自分を振り返って、自分で自分を尊敬もするが、もっと早くヴィパッサナー瞑想を探せよ!という気持ちにもなる。
「ヴィパッサナー瞑想」は、簡単に言うと今という瞬間に完全に注意を集中するメソッド。俺が最初に読んだのは「意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法 」という本だった。
アマゾンの評価も高かったので、買ったのだが、この本が今思うと当たりだった。
開発者のブッダさん自身のむなしさから抜け出すために作られたエピソードとかが載っていて、意欲をかき立ててくれる。(DVDがついてないのが、惜しいけど。)
瞑想法自体はとにかく簡単だった。何しろ一番始めに乗っていたのが歩くままやる瞑想法だったから。
さらに「イライラが止まる」やら「頭の中のガラクタがなくなる」やらの効果が書いてあった。
「本当に歩くだけの瞑想法でこんな効果あんのかよ!?」と思いながら、本を読みながら部屋の中を歩いて、「歩く瞑想」をやったのだった…
「左足から歩くならば、左足に神経を集中させ、「左足」とこころの中で言葉で確認し、同じく「あげます」と実況しながら左足を上げ、
「運びます」と実況しながら左足を運び、「おろします」と実況しながら左足を降ろす。同様に右足も、足の感覚を丁寧に感じながら、ゆっくり歩く。
このように実況中継を絶やすことなく歩くことを続ける。」
というのがやり方。実に簡単。
で、これがめちゃくちゃ頭の中でうずまく妄想を止めるのによかった!
寝る前に座る瞑想法も試してみたのだが、同じようにからだの感覚やこころの感覚を、実況し続けたのだが、いつもはなかなか寝れないのにそのまま寝ちゃっていたのだ。
そして爆睡。ほんとは寝ちゃだめなんだけど。
子供の頃なんて毎日爆睡だったけど、大人になってからは、そういう感覚ってなかった。それが1日にして蘇った。
朝起きたとき「え?……あぁあの瞑想して寝てしまったのか」という感じでぽかんとしていた記憶がある。
で、いつもだったら起きたくないなぁ、あれやらなきゃなってふとんの中でグズグズ妄想が頭ん中を回るんだけど、それに気づく。
あぁ、いつもこの頭の中を回るガラクタに惑わされていたんだって気づく。
精神学者の名越康文も朝の自動思考について仏教を例に説明している。http://igs-kankan.com/article/2011/08/000476/
1日にして「ヴィパッサナー瞑想法すっげえええええええ」となったのだった。
んでその後は、買った本に乗ってある奴を徹底的にやった。歩きながら瞑想するのは体と心が同調されていい。
とにかく気力がいらないという点がよかった。つまり、今に集中しろ、現在に気づけ、観察しろ、ただ知れってことだから。
つまり、"Don't think, Feel!!!"というブルース・リーが説く状態に持っていくということ。
1週間くらいしたら、こころの状態がすこぶる良くなっていた。身体が新しくなった感じがして、呼吸するのが気持ちよかった。
心の疲れはちょっと残り続けていたのだが、3ヶ月くらいやってたら、気付いた時には「あれ、心がなんか静まってる」となってあの重い感覚は7割方消えていた。
怒りも静めることができるようにもなった。
で、今ちょうど1年くらい経ったんだけど、すこぶる調子が良い。歩くのが楽、呼吸するのが楽、良く笑うようになった。このヴィパッサナー瞑想法との出会いが間違いなく自分を変えた。
心の調子がよくなると、体の調子が変わるのは確か。「なんか悟り開いたみたいだな」とよく人から言われます。前までは悟り開いてなかったのかもしれない。
俺のオススメはスマナサーラ長老と小池龍之介。まあ前者の方が俺は好きかな。
大抵この2人が今の瞑想入門の売れっ子って感じ。(他にも色んな入り口があるってことね)
是非、オススメなので、ヴィパッサナー瞑想法知って下さい。大きい本屋にいくと、ヴィパッサナー瞑想コーナーがあったりします。店員さんに聞くといいです。
ちなみに日本テーラワーダ仏教協会というところに載っていました。無料で見れます。http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
余談だけど、このヴィパッサナー瞑想法を開発したブッダさんという人は、凄まじく天才なんだそうだ。
若いときは、王国の王子として生まれて恵まれた生活を送ってたんだけど、生きることのむなしさを感じて、出家して、悟りを開く(笑)
で、仏教っていうの教えるんだけど、それは神やら儀式やら主義じゃなくて、内なる現実をありのままに観察することによって、その本質を理解しろよって言ったんだ。
話が、本当かどうかはこの際どうでもいい(俺は本当だと思うけど)。ヴィパッサナー瞑想法が効果あるのは間違いないのだから。
匿名ダイアリーは巨大ブログだと誰かが言っていた。是非、ヴィパッサナー瞑想法を拡散してほしい。
ちなみに仏教団体(色んな怪しい人達もいるから気をつけてね)の回しもんじゃありません。とにかく良いものには広まってほしいと思う一心です。
勝手な言い草だけど「ヴィパッサナー瞑想法合わない」なんて言う奴は、この世にいないと思う。万人向けに作ってあるから。
というか、西洋人でも瞑想を生活に組み込んでいる人がいるのに、日本人が正しいやり方を知らずに実践していないのはマジでもったいないと思う。
その先人気が出て、ゴリ押しした分の先行投資を回収できると思うからゴリ押しするのであって、いくらゴリ押ししたところで売れないものは売れない。
要はビジネスだ。
ゴリ押ししたおかげでそのコンテンツを認知し、お金を払うほど満足した客がいるのだから
そこに価値が生まれていると言っていいだろう。
自分がどれほど興味がなくて、理解できなくても、それがどんなにくだらないものでも
それに興味を持って、視聴したり、購入したりする人がいて、ビジネス的に回っているのであれば、「ゴリ押し」はなくならないし、
ニーズの把握、資本の投入、そして回収、それが資本主義社会だ。
今回のAKBの総選挙で、テレビ局はニュースで大々的に国民的行事だと伝え
「興味ないよね」という会話も含めれば、かなりの人が話題にし、
熱狂的なファンは投票のために2000万注ぎ込み
その熱が冷めやらぬ中、なんと新人の「江口愛実」という子が彼女たちを指しおいてCMでセンターに抜擢されたという。
ここ数日ほど話題を集めていたが、
まあ、なんのことはない。結局、その子はメンバーの顔をCGで合成した架空の人物で
「江崎グリコ」の「アイスの実」から名前をとったという顛末であった。
国民的イベントという装いを纏った金銭投票の結末が、一企業の商品の宣伝だったのだ。
これを、なんと形容すればいいのだろう。まさしく茶番中の茶番である。
もっと見えにくい形で、巧妙な形で、あらゆるところに資本に回収されるような仕組みが僕らを囲んでいる。
はからずも、総選挙で2位に甘んじた子が「票数は愛です」という名言を残した。
これは、ホリエモンが言った「愛はお金で買える」よりも無意識のうちに資本主義社会の核心をついている。
お金で愛が買えるのではなく、愛はお金に回収されるというところがポイントなのだ。
愛じゃなくてもいい。あらゆる人間の感情と認識と思考が資本システムに回収される仕組みに満ちているのだ。
「好きだ」とか「かわいい」とか「モテたい」とか「面倒くさい」とか「寂しい」とか「エロい」とか
「見栄」だとか「常識」だとか「不安」だとか「時間」だとか「萌え」だとか「やりがい」だとか。
しかしながら、その感情も、それを回収するシステムも否定することはできない。
抱くべき「正しい」感情など本質的に存在しないのだから。この社会では、誰もそれを一律に決めることはできない。
自由に感情を抱き、自由に好きなものを買うことができる。
その感情がお金と結びついていること自体おかしくないのか、考えることもできる。
もちろん、考えないでブヒる自由もある。
ここまで書いて、「ゴリ押しだ」と叫ぶ人たちへの見方を少し変えなければいけないのかもしれないと思った。
大抵、批判の対象は電通・韓流・マスコミで、その背後に反日勢力がいるという論法に見飽きていたが、
その根底には、思い通りに金を回収しようとするシステムへの反感が、実のところ存在するのではないだろうか。
しかしながらそれも、「WiLL」「諸君」「正論」「嫌韓流」といった本のコンスタントな売り上げや
それを煽りアクセス数を稼ぐコピペブログのアフィリエイトなど、結局資本に回収される仕組みに飲み込まれているという入れ子的な構造がある。
「信者」と書いて「儲」と読むなんて、よくできてるなと思うが
人間の感情・思考を、あらゆるミームをお金に変換するシステムを作ったときに、儲けることができる。
それこそが資本主義システムであり、僕らに快適・安心・快楽を与えるくれるのと同時に、いつでも手をこまねいてチャンスを狙っている。
「120人の重症患者たちを全員搬出していたら、おそらく自分は死んでしまうだろう。」
そんな状況下においての正義とは何なのか?サンデルなら何て言うのか?
自分が助かれば他の数千人の患者たちの命を救うことが出来るが、そのために120人を犠牲にしてもいいのか?
120人全員を救うことは出来ないかもしれないが、自分の命を投げ打ってでも、職務を全うしわずかな命でも救うことがベターか?
日本の法律では、命の重さが公平でないことは、ゆとり教育世代の我々でも習ったはずだ。
働き盛りの20代の人間が事故死した場合と、死にぞこないの100歳の老人の場合では、賠償金の額が違う。
また、二浪して20歳で医学部に合格するのは認められても、退職後60代で医学部に入学することは出来ない。
命がフェアだと思って感情論に走るやつはクソだと心底思う。
あんたの命とオウムの麻原の命は、同等の価値があると言っていいのか?
アメリカの白人主義団体KKKの団員と俺たちの命は同等の価値があるのか?
エジプトやリビアで血を流している人間がいて、イラクでは自爆テロに巻き込まれて死んだ人たちが
数千人いても、それを対岸の火事だと思っていた日本人たちが、他人の命の重さについて議論するのは
滑稽なこと。
昨日たけしの番組で元宮家の竹田さんが興味深いことを話していた。
天皇は死ぬと怨霊になるという説だ。有名な怨霊として崇徳天皇がいるがそのほかにも平安時代からずっと天皇は死ぬと怨霊に
なるという話らしい。この説の重要な裏づけとして平城京遷都等があるらしいのだがもしかするとこれは現代にもかなり当てはまりそうだ。日清日露戦争に勝った日本が昭和に入った途端に追い詰められて太平洋戦争まで突き進んだように、戦後の驚異的な成長からバブルまでを謳歌した日本が平成に入ったとたんに失われた20年を経験している。これはもう偶然では片付かないのではなかろうか?
そもそも天皇って象徴とか言われてるけどものすごい霊的エネルギーの塊のような家系だし、霊的儀式をいまだに継承して実践してる
いわばキリストやブッダのような存在。キリストやブッダの子孫はいないけど日本には天皇の子孫がいるわけだ。昭和天皇の御霊を鎮めるためになにかしたほうがいいのかもしれない。
なぜか。
当たり前の話が当たり前に受け入れられない社会。/東なんとかがゴチャゴチャ言ってたが、感情的じゃない規制派はとんとお目にかかったことがない。理由があってやるんじゃなく、やるから理由を作ってる。
とりたててこのツイートそのものに思うところがあるわけではない。ピックアップしたのは判りやすかったからだけだ。
「東なんとか」
文脈から見て東 浩紀の事に間違いないだろう。
通常、どんなに攻撃的に相手を批判するときでも、言い方ってモノがある。
『いかにして性的な虚構表現が溢れる社会をコントロールするのかを検討する事が重要だと言う意見もあるが(東 浩紀:http://twitter.com/hazuma/status/12222226170384385)、それは前提が誤っているし、その誤った前提に立ったとしても結論としては飛躍がある』
こういう言い方にお目にかかれない。
『http://twitter.com/hazuma/status/12222226170384385で東なんとかがごちゃごちゃ言ってるが、そもそもコントロールする必要が無い。根拠がないんだし』
正気か?
全否定するにもやり方があるし、モノの言い方がある。どこのどなた様なのですか。
すさまじく上から、マジョリティを愚かだ、オマエラの懸念は杞憂だ、自由を圧殺する地獄へは善意で踏み固められるとか言い放って良いのは、夢見る中学生までだろう。
また、相手の懸念点が判った上で、提案をするのと、無視して言い放つのにはやはり差がある。
「漫画であってもこれは子供に見せたくないから陳列制限して欲しいと言っているのを踏まえた上でも」という展開をすることが異様に少ない。
『漫画の表現が悪影響を与えるという根拠もなく、感情的に』とか『この条例を元に販売規制が流通規制の強化に』とかそういうのばっかり。
世の中が間違ってるんじゃない。マジョリティの意見が世の中を作るんだ。
生きにくい世の中なんじゃない。マイノリティの生き方が否定されてんだ。
「アフタヌーンの隣にチャンピオンREDいちごが置いてあるのはマズくないのか?」
そういった意見を華麗に無視して、自分の言いたいこと言っても誰も聞いてはくれなかろう。
マジョリティの意見が世の中を作ってるんだから、彼らに変わってもらわなければ何も進まない。
そういった意味で「エロ漫画を規制してやる!」という信念のボスに従い、(お金をもらって)条例を納得してもらえる形に変更してなんども提出する都庁の職員と、
「世の中が間違っている!馬鹿だオマエラは!表現の自由が規制される!」とか言ってる有象無象では、はじめから勝負になっていない。
ガキがエロ本読める状況でしか糊口をしのげない漫画家は、本来駄目なのに生き残ってるだけだとなぜ考えられないのか。
条例の何が問題で、どう穴があって、推進派の規制は単なる杞憂に過ぎない理由はこれこれだとアピールする機会をボイコットする出版社に快哉を叫ぶとか、
本当に正気なのか?
表現し続けて裁判にしようとか、条例の穴を見つけてエロ描いてやろうとか、冗談にしても質が悪すぎる。
どう考えても逆だろう。
明らかに抵触するが、子供に良い影響を与えるような感動的な漫画を描いて後悔させてやる!とかなぜ言えないのか。
子供にエロ漫画を販売させない・触れさせない為に、大きな犠牲を払うことになるのだ、それは良くないことなのだとなぜ説得できないのか。
犯罪行為を漫画に描いて、それを賛美することでしか表現できないことがあるのだと、なぜ主張できないのか。
子供の為には大人が我慢するのが当然だ、区分陳列だから売ろうと思えば売れるだろうと言い放った相手に
何が問題で、どう問題で、どう変更すれば区分陳列として妥当なのか対案が出せないのであれば、
(もしくは、その区分陳列は実質的に表現規制なので表現の自由を侵すと主張するならば)
相手の懸念が杞憂に過ぎないと説得するか
相手の懸念を払拭しつつも販売できる方法を提案するか
相手の懸念を解消するために犠牲となる代償が余りにも大きいと納得させるか、いずれかが必須だろう。
だって少数派なのだから。(多数派なら何もしなくても勝手に否決され続ける)
相手の意見を無視して老害と吐き捨てるのも、そうやって自由が亡くなるのに喜ぶとは幸せだなと皮肉るのも、まともな大人のすることじゃないだろう。
そう思える大人が反対派に増えない限り、仕事として大人な対応をし続ける規制派が勝利を収め続けるだろう。
今回は始まりに過ぎない。
子供っぽい反抗を続ければ、さらに自らの首を絞め続けることになる。
http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51122284.html
脳のことは知らないから塾講師なので、勉強法についていつも生徒にいってることを書いとく。
ガキ相手に難しいこと言っても実行できないので、すげーシンプルだ。
試験合格にかぎった勉強法なら、決まった問題を解く力とスピードアップの2つだけ押さえてればおk。
先に言っておくと、これ教育ママにめちゃくちゃ受けの悪い勉強法。
常に80点くらいは取れるが、ほぼ確実に満点は取れないので
「俺の母ちゃん教育ママ」という人は諦めて別の人に教わってくれ。
まず決まった問題をとく力だが
復習(というか問題形式での演習)をベストなタイミングでしろって話に尽きる。
本当の勉強だと、最初に目的があって、そこから逆算して必要な知識やら材料を探して、
さらにそれをどう使うか、どう組み合わせるかとか考えていくのだろうが、
試験に関して言えば「得た知識をどう活かすか」は問題という形で決められているから
「このタイプの問題はどう解くか」だけ理解出来ればいい。
だから日本は駄目なのだと思うが、現状そうなっているのは仕方ない。
将来真面目にその分野を研究したいというのでなければ本当にこれだけでいい。
あほらしいと思う人ほど、手抜きして良い成果を出すために、これだけは徹底して頑張ってもらう。
出来が悪いやつが授業も聞かない、復習もしない、で試験前にだけ頑張ってるのとか見ると
出来が悪いやつというのはやり方がまずいとしかいいようがない。
そして、8割取るだけなら押さえておくべきところは2割程度。
そこだけは何がなんでも完璧にしておけ、と指導してる。
あとはいくらこっちが熱心にいってもどうせやる気がないやつはやらないし
やる気があるやつは言わなくてもやるのでこっちは関与しない。
そのかわり、この部分だけ完璧にしてれば8割は取れる、試験は合格できるって言い方をする。
どこが大事でどこが大事じゃないか
問題見てパッとみて解法への道筋が見えなかったらさっさと見限る。
んで答え見る。(試験の時は忘れろっていってる)
この勉強法の良くないところはよく自覚している。
とにかく教師が大事なところを予めピックアップして教えてしまうので「何が大事なんだろう」とか考えなくなる。
教師が教えることはみんな大事なんだって受身の姿勢になってしまう。
決まった問題を溶けるようにすることだけを目標にしてるから、応用力いまいち。
一番厄介なのは、問題に取り組む根性をなくさせてしまうことだ。
とにかく出来なさそうな問題は捨てる。重要じゃなさそうなのは無視する、など。
言い訳させてもらうと、「そもそも必要じゃないのに他人に無理やり押し付けられた物を
そこそこの出来でさっさと終わらせる技術」を教えているつもりだ。
それなら、さっさと終わらせて本当に大事だと思うものに大してたくさん時間や情熱をかけてもらいたい。
そういうのはおとなとか子ども自身の問題で、私の職務範囲外であり、能力範囲外だ。
でも、私のこんなくだらない勉強法が褒められたりしたこともある。
結果がすぐに出るからね。
それで「うちの息子の将来も安心だ」とか阿呆なことをいう親を見るともう腹が立ってしょうがない。
ゴミ掃除とか便器掃除をいくら教えても、掃除屋にしかなれない。
あんたら前途有望な子供を掃除屋に育てるだけで満足なのか?といつも腹が立つ。
「そうじ力」とか言う言葉が流行ったことがあるが、あれは親の機嫌取りとかが目的じゃなくて
もっと自分にとって本当に大切なものに打ち込むためだろ?
俺をホメてる暇があったら、子供に将来のゆめのひとつでも聞けよ、と思う。
俺があんたの子供だったら、あんたをまず真っ先にゴミ捨て場に持って行くよ。
・・・ごめん言いすぎた。
話は変わるけど「脳力」はどっちにしろ好きなことや大切なことをやってる時にしか伸びないと思ってる。
嫌なことをやるために脳を消費したり、そっち方向に向けて脳を鍛えたりするのは絶対やめてほしい。
最悪、嫌いなことの出来が悪いってのは気に病まず、自分が好きなことを得意になってもらいたい。
似たようなことを繰り返すが、嫌いな物を無理やりやらせることで人間力を養う、とか個人的にありえないと思っている。
今の教育ママから、就職活動から社内教育のあり方からいろんなものを見ていると
” 超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。
気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
心配すんな。大丈夫だ。 “
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11998050
◆Ver1
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ もっと力を抜いて楽になるんだ。
この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初っから空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る、全てはお前次第だ。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ
この世がどれだけいい加減か分かったか?苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて何のアテにもなりゃしない。
先の事は誰にも見えねえ。無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、それができりゃ涅槃は何処にだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。俺達が苦労して見つけたモンをまとめて教えてやるからよ。
耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
神様なんて信じない、そういう人は多い。
神を否定する時、頭の中に神を浮かべて、その存在を否定するわけだけれど、その刹那、ほんの一瞬、自分の中に、神が存在することになる。
と、するのなら、あなたが神を信じようがいまいが、神は、あなたや私の中にいるわけだ。
「否定する事により神が存在する」という、奇妙な状態でも、神を否定して心が落ち着くのなら、神を罵るなり嫌うなりしてもいいと、私は思う。
ただ、仏教には「ブッダに会ったらブッダを殺せ」という言葉があって、仏教に神は出てこないそうだけれど、現代日本を生きようとすると、自分の中に神が出てきたら、殺す事が必要…… な気がする。なんとなくだけど。
とはいえ、「ブッダはともかく、神様って殺せるの? 死ぬの?」という疑問も出てくる。
なので、自分の中に神様が出てきたらスルーする、スルー力を身につけたいと思う。
「『熱狂的な信者』の反対は『熱狂的な無神論者』ではなく、神がいようといまいと気にしない『穏便な皮肉屋』である」
あろうことか… 祈ってしまった…!
何も考えず… 神頼み…
救ってくれ…
オレを助けてくれ… だっ…!
もう自分以外… 頼るものなどない… と
骨身に染みて…
知っていたはずなのにっ…!
伊藤開司
最近夢に学生当時好きだった人が出てきたので、目を覚ました直後寝床のケイタイを弄ってなんとなくミクシにログインしたらミクシ同級生がNEWになっててその人が本名+写真付きで登録されてた。
なんだよ・・・なにかの思し召し?
ってな書き出しはおいといて
なんか自分はチキンだし隠れヲタだもんで、ミクシも検索切って本名登録もせず完全クローズド、サイトやネットサーフィンする際のHNはミクシで使用せず、マイミクはリア友だけしかいないし、リア友にも一人にしかヲタカミングアウトしてないからツイッタ垢やサイトアドレスも一切だしてないほどの徹底振り(自称)ツイッタも当然本名登録してないし、2chや増田・ツイッタばかりでぶっちゃけミクシはほぼヲチ用じゃないかってな位の用途。私の認識ではミクシといえどオープンなブログと変わらないし、職場の人やらも登録しているから怖くて実名登録出来るわけがない・・・のに、
相手は名前本名フルネームで写真もバッチリ本人で、リア充がそのままネットやってる感じ。リア充の威力恐るべし。
(mixiの場合はネットリテラシーがない人が多い、というのもあるけど)
匿名希望する人は少なからず現実とネット上で(本質的な部分では一緒だが)分けて使っている(2chはモロそう)し、例えブログでそこそこ真っ当な事しか書いていなくても、そういった落差に自分自身気まずさを感じてしまうから本名で出ずらい部分はあると思う。他にも発言に対しての責任感の有無や重さも上げられるけど、相当初心者でなければネットの書き込みから個人特定可能なのは分かっているから、その分かっている範囲内で匿名という緩くなった縛りで法に触れない程度で色々発言をするし出来る。
勿論大方のサイレントマジョリティーはそうでも、犯罪予告やら自殺予告やら過激派が自爆テロを繰り返すうちはその辺が理解されないだろうし、叩かれる的であり続けると思う。2chまとめが読まれるようになったのも無責任さのクローズアップ一端か。
それでも日本人のFACEBOOK登録を考えると元々閉鎖的な人種なのかもしれない。匿名議論はされても、今後日本国内に法律レベルで匿名禁止!とはならないんじゃないかね。という訳で、匿名議論は「ネット実名制法案は今後かすっても出てこない」という答えが分かりきっている以上無駄なのかも。したい人は自分ですれば言いし、したくなければしない。それをお互い強要しない。もし匿名は卑怯というなら、自分も匿名で戦うかもしくは実名で来る相手以外封鎖するか。
私はというと、匿名問題はどうでもいいので論議を見て流して終わり。
そういえば当時好きだった人、最近同級生に登録したはずなのに登録前に私の垢に足跡ついてるんだが・・・。検索も切ってるし、学生時代の学校コミュも入ってないし、名前も出身も全部改変登録の上クローズしてるってのに何故来た?ミクシニュースから日記見たときに踏んだわけでもなさげだし。
一応全部クローズとはいえ、PCからプロフを立て読みすると本名になるようにしておいてる(携帯からでは縦読みできないし変わった苗字だから普通は縦読みしても気付かない、気付いても同級生でないとってなレベル)仕様w
怖いけどちらっとリア充の日記見てくる。正直気になるし、きっと足跡残したって私だとは気付かないはず。
あ、マイミク申請とか※送るとかいうフラグ立てる展開はしないので悪しからずw
相手普通に私を嫌ってるはずだから。
この街にいるかぎり、私に与えられる食料は、天井につられたバナナしかありません。
街の英雄のジョナサンジョースターは、毎日フォアグラを食べていてずるいと思います。
ジョナサンジョースターよりも私のほうが、ボランティアに参加した回数がずっと多いのです。
そして、与えられる食料は、本来ならばボランティアに参加した回数に比例してゴージャスになる決まりのはずでした。
悪い警官がいました。
悪い警官は私をぶちます。
悪い警官はキリストだってムハンマドだってブッダだってぶちます。
私の大好きな信長様の後ろを、悪い警官は襲おうとしていました。
私はこの棒で、悪い警官をたたきました。
棒はもう使い物になりません。
また、私の大好きな信長様も、バナナを食べられないので飢え死ぬしかありません。
それ、はてなですっげー勢いでブクマされてて気になってた。最近、弟がそのマンガの3巻買ってきたから読ませてもらったんだけど、面白さはまあまあだったなぁ。サロメとか知っててもそれが爆笑を誘うわけじゃなかった。絵は良いと思った。
あと、あれはやっぱり女性が女性向けに描いたものだよね。ブッダとキリストの言うことなすことが女の子っぽいし、どことなく「腐」臭もするし。ブッダとキリストの友情と言っても、その友情が男同士の友情じゃなくて、女の子同士の友情なんだよ。
某所のとある人が書いたブログにて。
主人公が「キリスト」と「ブッダ」の2人、もちろん、本物です。その2人が休暇を利用して、立川のアパートでシェアリングをしている、という設定、アパートを借りるときの名義が「聖」という名字だ、と。まあ、その設定自体で、かなり楽しむことが出来ますが、「宗教的な知識」があれば、それがより一層楽しめる、というのがポイントです。幸い私は仏教にも、そしてキリスト教にも造詣が深いものですから、その辺のネタはビシビシと決まってきますよ。「銀のお盆に生首を欲しがったわがままな娘」なんてのが出てきますが、その娘の名前が書かれていないのがミソ。作者の読者への挑戦なのでしょうか。
基本的にギャグマンガなのですが、そのテクニックがかなり古典的。ページをめくった瞬間に強烈な「オチ」があらわれて、それで爆笑を誘う、という、分かり切った手法がたまりません。先が読めていても、実際にこれをやられると間違いなく爆笑させられてしまうのですから、困ったものです。一番笑ったのは、アパートがあまりに暑いので、2人でファミレスに涼みに行くシーンでしょうか。ドリンクバーだけを注文して長々と居座る2人、最初は空いていたのに、だんだんまわりにお客さんが増えてきます。ウェイトレスも、そろそろ迷惑顔をし始めたので、2人はそのウェイトレスにそのあたりを尋ねようとします。そしてページをめくると、そこには大きなコマの中で満面に笑みをたたえた彼女が、「お客様は、神様ですから」ですって。ここでツボにはまらない人が、いったいいるでしょうか。
とは言うものの、こういう「絵」はちょっと苦手、3巻までは買いましたが、それ以上「自分で」買うことはないでしょう。