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2016-04-06

上手は、目利かずの心に相叶ふ事難し。下手は、目利きの眼に合ふ事なし。

「上手は、目利かずの心に相叶ふ事難し。下手は、目利きの眼に合ふ事なし。」

世阿弥

およそ、能の名望を得る事、品々多し。上手は、目利かずの心に相叶ふ事難し。下手は、目利きの眼に合ふ事なし。下手にて目利きの眼に叶はぬは、不審あるべからず。上手の、目利かずの心に合はぬこと、これは、目利かずの眼の及ばぬ所なれども、得たる上手にて、工夫あらん爲手ならならば、また、目利かずの眼にも面白しと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とを極めたらん爲手をば、花を極めたるとや申すべき。されば、この位に至りたらん爲手は、いかに年寄りたりとも、若き花に劣る事あるべからず。されば、この位を得たらん上手こそ、天下にも許され、また、遠國・田舎の人までも、遍く、面白しとは見るべけれ。この工夫を得たらん爲手は、和州へも、江州へも、もしくは田楽の風體までも、人の好み・望みによりて、いづれにも亙る上手なるべし。この嗜みの本意をあらはさんがため、風姿花傳を作するなり。

 かやうに申せばたて、我が風體の形木の疎かならんは、殊に/\、能の命あるべからず。これ、弱き爲手なるべし。我が風體の形木を極めてこそ、遍き風體を心にかけんとて、我が形木に入らざらん爲手は、我が風體を知らぬのみならず、他所の風體をも、確かにはまして知るまじきなり。されば、能弱くて、久しく花はあるべからず。久しく花のなからんは、いづれの風體をも知らぬに同じかるべし。しかれば、花傳の花の段に、「物数をつくし、工夫を極めて後、花の失せぬ所をば知るべし」と云へり。

 一、この壽福增長の嗜みと申せばとて、ひたすら、世間の理にかかりて、もし、欲心に住せば、これ、第一、道の廃るべき因縁なり。道のための嗜みには、壽福增長あるべし。壽福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば、壽福おのづから滅すべし。正直圓明にして、世上萬徳の妙花を開く因縁なりと嗜むべし。

 およそ、花傳の中、年来稽古より始めて、この條々を注す所、全く、自力より出づる才覚ならず。

于時應永第九之暦暮春二日馳筆畢  世阿

2014-01-20

自分の子供を掛金にしてどんな博打を打つの

http://rrt.hateblo.jp/entry/2014/01/12/000604

読んだ。

私も幼いころにプログラム出会ってさえいれば、もっと数学にも関心をもって意慾的に取り組めたことでしょう。

ここが最高にダサい

そう思うんなら、一刻も早く子育て始めて、お子さんをパソコン漬けにしてあげればいいんじゃないでしょうか。

英才教育がなければスタート地点にすら立てない世界があるのは当然の事実である一方、

一本決め打ちの教育がいかにリスキーであるかというのもまた事実

で、ブログ主自分の子供を掛金にして博打を打つなら何に決め打ちするの?

よしんば、自分がなにがしの芸能の家元であったとして、

子供も幼い頃から素直に稽古を続け、親バカながらも才能もあるようで順調に成長してきたのに、

思春期バンドにかぶれてしまって大変困るみたいな話も割とあるあるで、

古くは風姿花伝にも書かれてて、厨二病ってのは室町時代でも健在だなと

から見ると微笑ましいが、親の身からすると悩ましかろう

一本決め打ち教育する度胸も素養もない親が、子供ちょっとピアノ習わせたり

ちょっといい私学にお受験させたりと、身の丈にあった多少なりとも

子供の将来の選択肢が多くなりそうな経験環境を用意させようと頑張ってるのを

子供の側から「何で決め打ちしてくれなかったんだ」ってのは、かなりダサい

まあその辺りも結局親の裁量なので、

数年で辞めたピアノも、その後バンド活動で作曲するのに役にたったし

パソコン買ってもらっても、勉強せずにエロゲーばっかりやってたけど

セーブデータ改変とかでバイナリ弄るところからプログラミングも入っていって

3Dモデリング学校でも幾何とかとリンクできた気もするし

仕事にもそれなりに繋がってないこともなくて親には感謝してる


まあなにがしかになって大成しなくても、

それに、どうせ子供自身は右から左なんだろうし、

でも、ちょっとでもメシのタネや趣味ネタになるようなものが残れば

いいんじゃないの?、くらいで

 
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